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スタッフブログ

Freude am Fahren,その2

 早いもので「BMW325i-mスポーツ」と一緒に駆け抜けて(そのつもり)1年が過ぎ、約8,000㎞走行しました。そこで良い点、悪い点、困った点を思いつくまま書いてみました。

1.良い点
(1)直6のスムーズさが良い
 回転が上がるにつれて気持ち良くエンジンが回り、官能的な加速感が味わえます。良く言われている「シルキーシックス」を実感!
(2)ボディーの剛性が良い
 普通に走行しても、高速を走行しても、しっかり感を実感!
(3)足廻りが良い
直線でもコーナーでもタイヤが地についてふんばっている事を実感!
(4)高速走行が良い
 上記(1)~(3)のおかげで高速走行が楽々で、どこまでも走れてしまう感じを実感!スピードが上がるにつれて安定感も上がってきます。おっとスピード注意!!

2.悪い点
(1)やはり価格が高いかなー
 国産車と比べると内装などシンプルに感じます。
(2)初期不良が、ちょっとありました
 ですが、ディラー(サンセイBMW)の対応が良かったので、それほど気になりませんでした。
(3)低速でのもたつきがあります
 A/Tが2速発進の様なのでしょうがないかな~。1速にセットして発進すると問題ありません。

3.ちょっと困った点
(1)ブランドイメージがすごい
 BMWに乗っていると言うだけで「すごいね~」とか「お金持ち~」とか言われてしまいます。決してすごいクラスの車でもなく、お金持ちでもないのでちょっと困ってしまいます。
(2)高速でも山道でも、わりと前車が道を譲ってくれる
 譲っていただいたので早く抜き走り去らなければなりません。またまたスピード注意!!

 以上、いろいろありますが1年間付き合った感想を一言で言うと「気持ちいい~」です。
 周囲から「どうBMは?」と聞かれますが、私の返答は必ず「気持ちいい~」です。高級感があり、エンジン音も聞こえず、優雅で豪華な走りの国産車も「すばらしい」と思いましたが「気持ちいい~」とは感じませんでした。この車はしっかり走り、かちっと曲がり、すっと止まり、国産車には無い何かがあります。本当に気持ちがいいんです。すばらしい車に出会えてよかったなと思っています。今後も一緒に駆け抜けて(つもり)いきます。また報告します。
 なおこの車、わずかながら手を加えてあります。写真で分かるでしょうか。T.K.

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好天の五竜岳

 今年のGWは連日素晴らしい好天が続き、楽しく山に登ってきた。今年は仲間のリクエストで後立山連峰の五竜岳となった。雪も多く、岩と雪のコントラストがみごとな日本離れした景色が拡がっていた。
 入山は白馬五竜スキー場からだった。ここからゴンドラとリフトを乗り継いで遠見尾根を進む。スキー場もまだ営業していて歩き出しの第一歩からすでに雪の道だ。初日は大遠見山にテントを張り、そこをベースとした。
 2日目に五竜岳を往復した。朝テントを出発し、白岳の南側面を経由して後立山連峰の主稜線に出る。五竜山荘が営業していたのでビールやコーラを仕入れた。小屋の物資はヘリコプターで運搬しているので買えるのは当たり前だが、雪深い道を登って来た直後なのでなにか不思議な気分だ。
 五竜山荘から山頂までは急な雪壁が断続的に続く。スリップして上手く止められなければ相当下まで落ちてしまう。ピッケルとアイゼンを有効に使って慎重に登る。
 山頂は、大きな雪庇のその先だった。目の前に黒部川を挟んで剱岳が凛々しい。そして五竜の南側にある鹿島槍ヶ岳の双耳峰が美しい。
 雪山初心者が二人いたので山頂からの下りは所々で念のためにザイルを使った。ザイルを使うと時間が掛かる上に他の登山者にも迷惑が掛かる。しかし安全第一だ。案の定、二人とも「安心して下れた」と言っていた。若い頃なら「この程度の傾斜でザイルなんか出すものか」と粋がっていただろうから私もずいぶんと大人になった(?)ものだ。

 ところで最近のデジカメは動画撮影機能が充実している。私は数年前からデジカメで動画も撮りながら山に登っている。荷物が限られる山では写真と動画撮影を兼用できるのは大きな利点だ。そして今回の登山に合わせてフルハイビジョン動画(垂直画素数1080)が撮れるデジカメを新調した。
 歩きながら写真や動画を撮る訳だが今回は3日間で写真300枚、動画30分を撮った。帰宅後、動画をフルハイビジョンのテレビに写して見たところ、実に鮮明な映像が撮れていた。それまで使っていたハイビジョンながら垂直画素720本のデジカメ動画に比べるとベールが1枚取れた感じだ。
 昔、山の雰囲気をみんなに伝えたくてベータマックスのビデオカメラを背負って登ったことがあるがそれを考えると実に良い時代になったものだと思う。Y.S.

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五竜岳を背にBCにて(2010年5月3日撮影、以下同じ)

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五竜岳山頂への最後の登り

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五竜岳山頂でのパノラマ写真(左に鹿島槍ヶ岳、右に立山と剱岳)

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ザイルを使っての下山

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白岳側面をトラバースしてBCに戻る

区報

 私は、住んでいる自治会の区報発行責任者に昨年4月から選ばれてしまった。任期は2年だ。毎月発行しているので合計24回発行することになる。先日ようやく折り返し点である12回目を発行した。

 当自治会は20年ほど前に、当時の役員が発案して区報発行が決まり、以来毎月欠かさず発行が続いている。内容は特に決まりはないが自治会内の毎月の行事報告(祭典、文化祭、スポーツ大会、一斉清掃など)と次月の予定が主になり、他に個人の投稿もある。A4換算で12頁ほどの規模だ。以前はモノクロ印刷だったが3年前にカラープリンタを購入してそれで印刷することになった。だから行事がある時はデジカメを持って取材に赴く。

 この区報には私も頼まれて過去に何回か投稿したことがあった。しかし今は一読者としての気楽な立場とはまったく異なる。皆さんに読んでもらえる紙面作りをしなければならない。
 私が最も恐れるのは手抜きを見透かされて区報が読まれなくなることだ。もちろん区報のどこにも「手抜きしました」と書いてあるわけではない。しかし読者は手抜きに何となく気付くものだ。手抜きの最たるものは他からの転用だろう。つまりページを埋めるためにどこかで仕入れた記事をそのまま貼り付けることだ。過去の例では「おばあちゃんの知恵袋」とか「今日の料理」それから「ハイキングコース紹介」などがあった。どこかで見たことのある、しかし誰も実行しないような生活の知恵や、本当に作って食べたかどうか疑わしい料理記事、実際に歩いたかどうか分からないコース案内などは読む側も虚しい。
 こういった埋め草的な記事を載せると読者は敏感に反応する。そしてせっかく書いた他のオリジナル記事も次第に読まなくなる。こんな500部にも満たないコミュニティ冊子でもそこに載っている記事がオリジナルなものであることは極めて重要だ。

 区報の制作は元々労多くして功少ない無償の行為である。毎月の後半は帰宅後これの編集に費やし、月末の休日は印刷と綴じ込みで丸一日潰れる。かなりの犠牲的精神の持ち主か、さもなくば余程のお人好しでなければ引き受けないだろう(私は後者か?)。だから手抜きして読んでもらえなくなった区報にしてしまうと次に引き受けてくれる人は皆無となってしまう。しかし多くの人に読んでもらえる良い紙面にしておけば「次は私がやります」という奇特な御仁が現れるかも知れない。手抜きをしないことが後継者問題も発生しないであろうこと願って残り12回の紙面を作っていきたい。まだまだゴールは遠い。Y.S.

 弊社の立場は明産株式会社殿の協力企業であり、明産の従業員の方々と一緒にマシンを製作する言わば外注業者です。
 このような立場の弊社(私)に投稿の機会を与えて下さった明産殿に感謝しつつ、仕事とは関係ない話で恐縮ですが、私のバイクへの熱い想いを書いてみます。

①バイクは5感をフルに使う乗り物
 私はバイク(オートバイの略称と解釈して下さい)が大好きです。触れると大火傷をしそうなエンジンやエキゾーストといったメカニカル部分を剥き出しに風を切って走る姿は、乗っていても見ていても爽快な気分にさせられます。バイクは5感をフルに使う乗り物です。
 とは言うものの一見気持ち良さそうに見えるバイクも実は夏場は炎天下でヘルメットを被り、長袖のフル装備でとても暑く、また冬は風を切って走ること自体が気が狂うほど寒いのです。さらに雨が降れば濡れるし、トラックの後を走れば排気ガスで真っ黒。本当に気持ちよく走れる時期は実は1年の内のほんの短い期間しかないのです。

②過去のバイク、現在のスーパーバイク
 日本の2輪史を振り返ると、1960年代後半、排気量750ccという国産大型バイクが誕生しました。ホンダドリームCB750です。いわゆるナナハン(ナナハンという言葉はこの時にできた)の誕生です。
 1970年代にはホンダドリームCB750のOHC空冷4気筒に対してヤマハはDOHC空冷3気筒のGX750で対抗し、カワサキは国産車中最高出力を謳った2サイクル空冷3気筒のマッハ750やDOHC空冷4気筒の750RSで挑戦してきました。
 これらに対してスズキは水冷式の2サイクル3気筒GT750やロータリーエンジンを搭載したRE5で2輪界の頂点を目指したのです。
 今考えてみればこの年代のバイクはどれも個性豊かで各メーカーのエンジニアの熱いハートがバイクというものに形を変え、我々に訴えてきたように思えます。

 最近のバイク性能と言えばエンジンが2万回転近く回るのにキチンとアイドリングがあり、リッターあたり200馬力出ているのに壊れず燃費が良く、この排気ガス規制が厳しい時代に規制をクリアしています。またフレーム性能も素晴らしく、市販のノーマル車両で300㎞/h超の速度領域まで達しているのです。まったく恐れ入る凄い性能だと感心します。まさにスーパーバイクです。
 しかし最近のバイクは何かが足りない、何かが・・・
 どれもこれも同じレイアウトのフレーム形式やエンジンレイアウトといったものでメーカーのエンブレムを見ない限り、どこ製のバイクだか判らないといった感じです。性能を追求すれば、よく似た構造になるのは理解できるのですが・・・
 すべてのバイクがそうだと言う訳ではないのですがこれに近いものを感じます。

③バイクと私
 バイクとの初めての出会いは、私が小学校6年生の時でした。年上のいとこに連れられバイク屋に行ったのがきっかけでした。今から37年前の話です。
 このカワサキ専門店に置いてあったバイクこそ750RS(通称Z2)でした。いとこはショーウインド越しに「すごくカッコいいバイクやろ、俺は買うぞ」と言っていたのを覚えています。
 しかしそんなに簡単に買えるわけがありません。彼は中古の2サイクル49ccの通称原付バイクしか手に入れることができませんでした。この時たまたま中古で売りに出されていたこの750RSを店の方の好意で跨がせてもらいました。この時の印象はハンドルが遙か遠く届かず、燃料タンクはちゃぶ台に見えたのを覚えています。

 これ以来、私もこの堂々とした巨大な2輪車750RSの虜になってしまいました。その後このバイクに憧れ続けたまま社会人になり、金銭的な余裕もでき、ようやくこの750RSを購入することができるようになりました。ところが社会人になった自分の成長とは逆に750RSは型遅れの旧車となってしまったのです。中古の750RSを買って乗り回すことに意義を見い出せなくなったのです。
 と言うわけで750RSをあきらめた私はこの後、ホンダ製のナナハンを新車で数台乗り継ぎ、その後ハーレーダビッドソンのローライダーという車種を購入してこれに約10年乗りました。

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   [以前所有していたハーレー。これに10年乗りました]

 このハーレーはとても気に入っていたのですが、やはり750RSのことが忘れられず、ある日、妻に相談しました。妻の一言「そんなにほしいのなら買ってもいいよ」妻が仏様に見えました。
 しかし2台のバイクを所有する余裕がないので思い切って腹を決め、次の日曜日にバイク買い取りセンターに来てもらってハーレーを売り払いました。そしてカワサキ750RSをフルレストア(再生新車)して売ってくれる店を訪ねたのです。それから待つこと7か月、私の元に750RSが来たのです。子供の頃の夢が遂にかなった瞬間でした。

④見ているだけのバイク
 しかし現実は厳しかったのです。いくらフルレストアしたからと言っても基本設計が40年以上前の古いバイクに変わりはありません。振動はすさまじく、排気音もノーマルでありながら爆音です。走っているだけであちこち部品が外れて壊れました。
 しかし37年間想い続けたバイクです。私の手で「スムーズに動く」ようにしてあげたかったのです。幸い若かりし頃バイク屋でバイトをしていた経験があり、メンテナンスには自信がありました。
 こうしてようやく普通に走れるようになった750RSがとても愛おしく思え、現在に至るのです。
 大して走りもしないのにメンテナンスは欠かさず、常にベストコンディションを保ったままピカピカです。
 こうして書くと休みごとにバイクで走り廻っているように取られるかも知れませんが、現実は妻の顔色を伺いながらバイクに跨っています。日曜日の朝早く起きて走り出し、昼前には帰宅して昼食は家族と一緒にとっています。そのあと妻との買い物に付き合うのです。これを怠ると大変なことになるのであまり遠くへ出たことがないのが実情です。

 こうして1年間楽しく乗っていたのですが、またしてもこの750RSに乗れなくなってしまいました。今度は私の右足が関節炎で動かなくなり、手術することになってしまったのです。
退院した後も2か月半は自宅療養を行い、会社や家族、それに廻りの人にも大変な迷惑を掛けてしまいました。その後仕事に復帰したのですが、私の右足は750RSに乗れるまで回復するにはさらに時間を要しました。
 それから2年の月日が立ち、750RSは車検が切れたままガレージで今もピカピカで最高のコンディションのまま眠っています。月に一度はエンジンに火を入れ、ワックスを掛けて磨いてやっています。一緒に走らなくてもコイツがいれば幸せです。
 とは言ってもやはりバイクは「走ってなんぼ」です。私の右足もようやく癒えたのでそろそろこの750RSの車検を取り直し、コイツと一緒に再び爽快に走り回りたいと思っています。M.E.

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    [750RSの図面を引いてみました。どうですか?]

 吉野源三郎著「君たちはどう生きるか」を先日読んだ。この本は中学生か高校生が読む本とのことだが、ひょっとしたきっかけで今回初めて読んでみた。この本が書かれたのは何と1937(昭和12)年のことだ。書中には普通の中流家庭にも女中がいたり、火の付いたタバコを平気で投げ捨てる場面があったりなど、今なら書かないであろう個所も散在するがそれでも内容的には素晴らしい本だと思う。

 ストーリーはコペル君という中学生の周りで起こる出来事をコペル君本人とコペル君の叔父さんとが話したりノートに書いたりすることで進行していく。いくつかのエピソードに分かれているが、まずはコペルニクスの話が出てくる(コペル君というあだ名の由来がここで分かる)。
 コペルニクスが地動説を唱えるまで人は皆自分が宇宙の中心であり、天が動いていると思っていた。コペル君の叔父さんはこの天動説と地動説を利用して「人は子供の頃は自分を基準にしなければ周りの位置関係が理解できない。しかし長ずるに従って外から自分を見ることができるようになる。残念ながら大人になっても自分中心の人がいることも事実だが」と指摘してみせる。続いてコペル君が「世の中は世界中の人々が仕事をすることによってお互いに支え合っている」ということに気付き、叔父さんはコペル君の深い思考に喜ぶ。

 コペル君がナポレオンの能力や意志の強さに感心するくだりでは叔父さんが「ナポレオンは確かに非凡なすごい人物だった。しかし彼の成し遂げたことが歴史の上でどれほどの意義があったのかも考慮しなくてはならない」と釘を刺している。この部分は、軍国主義に傾きつつあった当時の情勢と筆者の反戦の思いも汲み取らなくてはならないだろうが、それとしても叔父さんの口を借りて「能力だけ優れていても意味がない。後世にどれだけの価値を残したか(もちろん金銭ではないだろう)が重要である」と言わしめたのは卓見だと思う。
 またある日、上級生から理不尽な暴力を振るわれる仲間に対してコペル君は何もできなかった。誰にも似たような経験があるだろう。コペル君も「僕なんか死んでしまった方がいいんだ」と自責の念に駆られる。この場面ではコペル君の母親が「自分の正しい心に反してその通りに行動できなかったことを後悔だけに終わらせず、反省してその後の人生に活かしなさい」と言い、叔父さんが「からだに故障があれば痛みを感ずる。心が痛むのも心が正常でないからだ。この苦しい思いから新たな自信を汲み出していこう」と書く。正に心洗われる思いだ。

 この本は多くの人が若い頃読んだそうだ。残念ながら私は筆者がこの本を書いた時よりもさらに歳を取ってからこの本に出会うことになった。だがそれでも未熟な私には充分参考になった。実に良い本だと思う。ビジネス書や事件物ばかり読んでカサカサになった心を潤してくれるような本だ。Y.S.

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スキー上達の秘訣

 一昨年のことだが、会社の先輩であるCさんと一緒にスキーに行った。場所はCさんのホームゲレンデ、八方尾根だ。私はここには2回目だったが何せ広いスキー場なのでうっかりすると自分がどこにいるか分からなくなってしまう。特に2日目は相当な濃霧で、前を滑るCさんの後にぴったり付いて滑って行かないとリフト乗り場に辿り着けないような状況だった。
 Cさんは私よりスキーが上手である。当然私は教えを乞うことになった。Cさんの指摘は的確だった。特に「突いた後のストック先端をもっと上に持ち上げないとダメ」の一言は、目からウロコものだった。

 スキーは真っ直ぐ滑り降りるだけならまったくの初心者でも簡単にできる。しかしスキーにはターンが不可欠だ。ターンによって方向を変えるのはもちろんのこと、連続してターンすることによって滑り降りるスピードを制御する。
 ターンは安全に滑り降りるための手段ではあるが、ターン中のあの浮遊感と板を制御している軽い緊張感がスキーの楽しさをもたらしている。ターンすること自体が目的にもなっているのだ。
 そのターンだが上手くターンできるようになるにはかなり困難な壁を乗り越えなくてはならない。スキーは上体、つまり腰から上の先行動作で曲がって行く。したがって上体は常に前に前にという意識を持っていなければならない。それが結果的に板を引っ張って行くことになる(スキーにはいろいろなイメージの仕方があり、これは一例である)。
 上体の先行動作に合わせて両手も前に前に出して行くことになる。そこで私はいつも「ストックは突いたらグリップを前に、突いたら前に」ということと「ストックのグリップがいつも視野内にあること」を心がけてきた。これは過去に上級者から教わった秘訣だ。
 しかしCさんは「まだ不十分だ。なぜかな?」と言う。そして次の1本でそれを見事に指摘した。それが「ストック先端の下がり」だった。私は確かに常に両手を前に出すようにはしていたがストックの先端にまでは意識が行っていなかった。そのためストックがだら下がり、積極的に板に乗り込んでいる滑りになっていなかったようだ。

 スキーは斜面に対していつも突っ込んで行く意識を持たないと安定した滑りにならない。ちょっとでも油断するといわゆる後傾姿勢になって板の制御が効かなくなる。そうすると雪面の変化や他人の接近に対してとっさに反応できなくなり、危険だ。ストックの先端をしっかり持ち上げてもっと雪面から離すこと、たかがそれだけのことが上達への一つの秘訣だった。奥が深い。Y.S.

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写真は昨年、妙高杉ノ原でのCさん

DECの記憶

 先日、家の本棚を整理していて古い本を見つけた。「超エクセレントカンパニーDEC」という名の本だ。私の知り合いでDEC日本支社に勤務していた者から貰った本だ。DEC(Digital Equipment Corporation)は、今ではコンピュータの歴史書にしか登場しないような過去の会社となってしまった。しかし当時はIBMに次ぐ世界第2位のコンピュータメーカーであり、この本のタイトルのように超エクセレントカンパニーと言われて持てはやされた会社だった。保険会社かどこか忘れたが「女性から見た結婚したい男性が勤務する会社アンケート」にDECが1番で選ばれたことがあった。その理由としてDECは、時代の花形であり、給与も高く、アメリカ勤務や出張もあり、外資系にもかかわらず終身雇用や傷病補償など従業員を大事にする、といった理想的な会社であることが記してあったようだ。当時のDEC従業員は正に我が世の春を謳歌したことだろう。

 しかしそうしている内にPCの性能が驚くような速さで向上した。DECの得意とするミニ・コンピュータの領域にまでPCが進出してきたのだ。DECも急いでPCを生産し始めたが「時すでに遅し」。ダウンサイジングとUnixの波に乗れなかったことがDEC衰退の原因だったようだ。
 アメリカの本社では創業者のケン・オルセン氏が退き、経営者が交代した。しかし新しい経営者は会社を再建することよりもブランド・イメージの良い内に会社を切り売りすることに専念した。その結果DECはコンパックに売却された。そしてコンパックもやがてヒューレット・パッカードに吸収された。「毎週のように送別会があったよ」と私の知り合いは当時のことを話す。超エクセレントカンパニーと呼ばれていたことが嘘のようだ。

 同じような話は最近でもあった。経営危機が騒がれていた日本航空が今年に入って遂に会社更生法を申請したという事実だ。日本航空もかつては就職人気の上位を常に占めていた。これも今では嘘のような話だ。
 DECも日本航空も、さらにはいつしか表舞台から去った多くの有名企業もその凋落の原因はそれぞれに異なるだろう。日本航空のようにとても一言では言えないたくさんの事情を抱えた会社もある。それぞれの企業に属していた方々にとっては一従業員の力では如何ともし難く、その無念さが想像できる。

 多くの人が言う通り、やはり「会社は生き物」なのだろう。その時代の環境変化に上手に順応して行かないと生き延びることはできない。そのためには将棋や囲碁の達人のように先を読む能力を高めて行くことが必要であり、また周りの変化を自社にフィードバックして軌道修正していく柔軟性も必要であろう。我々は何という難しい時代に生きていることだろうか。Y.S.

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栄光の岩壁

 作家新田次郎は山岳小説を最も得意とした。今年上映されて話題になった「剱岳点の記」も新田次郎作品だ。
 短編、長編共に数ある新田次郎作品の中でも特に傑作は「孤高の人」と「栄光の岩壁」だろう。「孤高の人」は戦前の単独行登山家加藤文太郎氏を描いている。そして「栄光の岩壁」は戦後の名クライマー芳野満彦氏をモデルとしている。
 芳野満彦氏は1948年の冬、八ヶ岳で遭難して足に凍傷に負った。幸い生きて救助されたが、麓の病院で両足の指を全部切断するという大きな代償を被ってしまった。氏が17才の時だ。それでも氏はその後、指先のない足で冬の岩壁に挑み、国内の著名なルートの積雪期初登攀をいくつも達成した。1965年にはマッターホルン北壁の日本人初登攀を成し遂げている。「栄光の岩壁」にはそこまでの氏の半生が描かれている。
 氏は単に登山家であるだけでなく詩や絵画も得意であり、1959年に刊行した自らの著書「山靴の音」にもそれらの詩や絵を掲載している。
 私は山の仲間と語らって芳野満彦氏に会いに行くことにした。私たちが若い頃夢中になって読んだ「栄光の岩壁」のモデルとなった山の大先輩を訪ね、親しくお話を伺おうというプランだ。
 私たちは事前にアポを取り、茨城県水戸市にお住まいの芳野満彦氏を訪ねた。文字通り直立不動の姿勢で恐る恐る訪ねた我々を氏は暖かく迎えてくれた。戦後登山界の生き字引のような氏の口からは著名な登山家の名前がポンポン出てきた。登山家として大きなハンディを負うことになった八ヶ岳遭難の話も興味深く伺った。私は話を聞きながら氏の持つ常に前向きな姿勢に感銘を受けた。問わず語りの氏の話しぶりは何かを否定的に言うことがないのだ。「何々の登山は良かった」とか「何々は良い道具だった」という具合に常に良い面を取り上げようとするのだ。「常人でも困難なことを、ハンディを負った体で成し遂げた源泉はこれほどの前向きさであったか」と理解した次第だ。
 我々は持参した「栄光の岩壁」や「山靴の音」などに氏の署名をお願いした。氏は一冊一冊丁寧に筆を運び、署名だけでなく短い文や山の絵を即興で記してくれた。これらの本は我々の一生の宝物となった。Y.S.

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芳野満彦氏近影(2009年12月撮影)

黒部川・下ノ廊下

 9月のいわゆるシルバーウィークは念願の黒部川・下ノ廊下(しものろうか)に行ってきた。

 下ノ廊下とは黒部ダムから下流のV字状峡谷のことで、ルートは左岸の岩壁に等高線に沿って穿たれた狭い道である。黒部ダムからスタートして黒部峡谷鉄道(いわゆるトロッコ列車)の終点である欅平(けやきだいら)まで約30㎞、前夜発1泊2日の行程だ。ちなみに黒部ダムから上流を当然ながら上ノ廊下と呼ぶ。ここには道はなく、泳ぎやへつりの完全な沢登りの世界らしい。

 私は35年前に山仲間から「下ノ廊下に行ってきた」という話を聞き「いつかは行きたいものだ」と思っていた。しかしそれを果たせないままズルズルと歳を重ねてしまった。今回も出発数日前まで踏ん切りが付かなかったが台風も東に逸れて好天が期待できたので計画を立てて行ってきた。

 せっかくの連休なので室堂から入って立山連峰を浄土山~雄山~大汝山~真砂岳と登り、内蔵助谷に降りて下ノ廊下に繋げるという前夜発2泊3日の日程にした。結果的にはこの欲張った計画のせいで疲労困憊してしまったが天気にも恵まれて何とか計画通り歩き、山を満喫してきた。

 下ノ廊下の岩壁に付けられたこのルートを正しくは旧日電歩道という。これは戦前あった日本電力という電力会社がこの道を開いたことに由来する。現在の黒部ダムまでの歩道ができたのが1929(昭和4)年とのことだ。戦後の電力会社再編で旧日本電力(当時は日本発送電)は解散してそのエリアを関西電力が引き継ぎ、今日に至っている。さらにさかのぼれば日本電力は東洋アルミナムというアルミ精錬会社を吸収している。この東洋アルミナムが黒部川に自前の水力発電所を建設するために鉄道を敷き、その終点から歩道を作っていったのが発端らしい。欅平から仙人ダムまでの東洋アルミナムが作った道を水平歩道と呼び、それを引き継いで黒部ダムまで延長したのを旧日電歩道と呼ぶのが正式とのことだ。P1000890.jpg

 ところでその旧日電歩道・水平歩道を歩いた感想であるが、「延々と続く」の一言に尽きる。写真で見ると断崖絶壁の狭い道に「足がすくむのでないか?」と思われがちだが、さすがにここに来ようという登山者はこの程度の高度感や狭さには慣れている。どなたもすいすいと歩いていた。それよりもその距離の長さに驚ろかされる。「よくぞこれだけ長い道を切り開いた」と感じ入る。P1000931.jpg

 そして下ノ廊下最大の名所である「十字峡」を過ぎ、しばらくして現れる黒部第四発電所の送電線引き込み口に唖然とする。後立山連峰の地下深くに黒部第四発電所があり、黒部ダムからそこに地下パイプで水が送られていることは事前に知ってはいても実際にその一部分を目にすると「やっぱり本当だったんだ!」と驚嘆する。そして今歩いているこの細い、所によっては丸木3本の桟道がそれらのダムや発電所建設の事前調査のための道であったことを再認識させられる。正に頭をガーンと殴られるような衝撃を受け、これを成し遂げた人間の意志の強さに驚かされる。電力開発は戦前の軍需による国策でもあったにせよ「本当に人間はこれだけのことを計画し、実行に移すのだろうか?」と、正に人生観が変わる思いがした。P1000968.jpg

 帰宅後、ネットで検索したら東洋アルミナムを設立したのは消化酵素タカジアスターゼの発明で有名な化学者高峰譲吉氏であったことも知り、さらに驚いた。「世の中にはすごい人たちがいるもんだ」といつものように思った次第だ。Y.S.okuganeyama.jpg

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 さていよいよ特性インピーダンスについて記すことにする。特性インピーダンスと言うとすぐに思い起こすのは同軸ケーブルの特性インピーダンスが50Ωや75Ωであることやツイストペア線のそれが100Ω前後であることだ。しかしテスターでどこをどう測っても50Ωや100Ωになったりはしない。また特性インピーダンスは長さが1mだろうが100mだろうが50Ωは50Ωのままである。特性インピーダンスとはいったい何者なのだろうか?

 特性インピーダンスも理解しやすい他の物で説明した方が良い。そこでアッテネータ(減衰器)の理屈を理解することから始める。アッテネータを図や数式を使わずに何とか説明しようと考えたがさすがに無理がある。そこでまずは図1を見て頂きたい。これは75Ω系の供給側と負荷側のインピーダンスマッチングが取れている状態を表している。供給側はインピーダンス0Ωの信号源とその信号源の内部インピーダンスとに分けて考えることができる。
 ここに図2のようなT字型のアッテネータを1個挿入する。アッテネータはインピーダンスマッチングを崩すことなく信号を減衰させる物だ。具体的には例えば図3のような抵抗値になる。これは6dBのアッテネータである。図3では供給側から右側を見た時に75Ωに見えることを確認されたい(100Ωの並列に25Ωが直列なので75Ω)。同様に負荷側から供給側を見ても75Ωである。ついでにこのアッテネータではV1の電圧がV2では1/2(つまり6dBダウン)となることも確認しておきたい。
 ではこのアッテネータを2個、3個と数珠繋ぎしたらどうなるだろうか?もちろんアッテネータだから信号は減衰し、受電側の電圧が1/2から1/4になり1/8と減衰していく。しかしちょっと考えれば分かるように供給側から見たインピーダンスはこのアッテネータが何個繋がろうと75Ωのままである(図4)。このアッテネータを「75Ω系のアッテネータ」と呼ぶ。しかしこのアッテネータ単体をテスターで測っても75Ωになっている所はない。

 同軸ケーブルもアッテネータと同じように考えれば分かりやすい。図5は同軸ケーブルの微少区間を単純化したものだ。これは先ほどのアッテネータ1個分と同じ形だ。図5での抵抗は、直列分は導体の持っている僅かな抵抗であり極めて小さい。また並列分は絶縁体の漏れに由来する抵抗であって極めて大きい。したがって理想的な同軸ケーブルがあったとすれば図6のように書ける。このL分とC分が常に均一になるように注意深く作られた同軸ケーブルはアッテネータの例と同じように何段重ねても(つまり何メートルでも)インピーダンスマッチングすることが理解できる。
 同軸ケーブルを物理的に何かで押さえて潰してならないのは、潰れた個所でC分が変化して特性インピーダンスが変化してしまうからだ。また同軸系ではケーブルだけではなく、コネクタまでインピーダンスマッチングを図っていることにも注目したい。せっかく正確な同軸構造や均一な絶縁体材質で同軸ケーブル作っても、そこを通って来た信号がコネクタでミスマッチして反射波を出すのは具合が悪い。SMA、BNC、N、Fなどのコネクタがインピーダンスマッチングを図った物だ。これらのコネクタはコネクタメーカの指示通り正確に組み立てないと本来の特性インピーダンスにならないので注意が必要だ。

 ところで同軸ケーブルもツイストペア線もなぜ50Ω、75Ω、100Ωなどの特性インピーダンス値なのだろうか?それはひと言で言えば単に「そうなるから」だ。
 同軸ケーブルの場合は絶縁体(つまり誘電体)の材質によってC分が変化する。絶縁体として空気を使った同軸ケーブルを作り、そのケーブルの損失が最も少ない構造にした時に75Ωの終端抵抗で最も良くマッチングしたことから75Ω系ができたらしい。また絶縁体にポリエチレンを使うと50Ωで最も良くマッチングするので50Ωを特性インピーダンスとして物もある。テレビ系は75Ω、無線系は50Ωを使うようになっている。
 ツイストペア線の場合も平行2線をよじった時に100Ω近辺で終端するのが最も良くマッチングするのだ。ちなみに電話系が600Ωなのは昔電信柱に渡した平行2線の特性インピーダンスが600Ωだったからだそうだ。正に「そうなるから」決めた数値だ。

 こうして見てくるとまず最初に伝送路(つまり同軸ケーブルやツイストペア線)の特性インピーダンスがあり、それに合わせるように供給側と受電側のインピーダンス値を決めたことが分かる。供給側、受電側そして伝送路、この3者のインピーダンスマッチングを図ることによってロスを最小にし、なおかつ伝送波形の乱れを最小にすることができる。電気の現象に理論付けをしてそれを実際に役立たせようとする先人達の知恵に驚かされる次第だ。

 なおRS485のようにレシーバを2個以上接続できるインタフェースは、レシーバの入力インピーダンスが高くできている。したがってドライバから見た場合レシーバは大きな負荷にはならず、ドライバから出た電流の殆どが終端抵抗で消費される。終端抵抗はツイストペア線の特性インピーダンスに合わせて100から120Ωにする。こうすることによって伝送ラインのインピーダンスマッチングが図られ、波形の歪みが極力抑えられる。そのラインに高い入力インピーダンスのレシーバが繋がることによってマルチドロップが可能となっている。Y.S.

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