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うまい話は危険

 L&Gという会社のN会長が逮捕された。この人はその昔、APOジャパンという日本最初のマルチ商法会社を作った人らしい。私も学生時代にこの組織に勧誘され、危うく入会しそうになったのを覚えている。

 それは確か1973年か4年頃だったと思う。近所の幼なじみに連れられて、とある会場に行った。F市内の何か公共の建物だった記憶がある。そこには100人ほどの人たちが集まっていた。その会場でマークⅡベーパーインジェクターという車の燃費を良くする装置の説明を受けた。説明員は「マークⅡは単なる名称です」と言っていたが当時人気の高かった車の名前を使っている辺りは最初から怪しさを感じさせた。
 その装置はアメリカ製で、アメリカの車雑誌ではその燃費向上効果が絶賛されているとのことだった。「この装置は非常に良い物なのでバンバン売れる。会員になれば卸値で流すので家族や知人に売れば利益が出る。ついては入会金として6万円を支払ってほしい。そうすればこの装置を3個渡す。1個は自分で使い、残り2個を売ればその時点で元が取れる。そして他の会員を勧誘すれば紹介料としてボーナスも出るし、勧誘すればするほど昇格して卸値がどんどん安くなり、じゃんじゃん儲かる」という説明だったと思う。
 説明が終わった後、10人程度のグループに分かれてさらに説明をすると言う。私たちはその会社で借りているという近くのアパートの一室に移動した。そこで8ミリ映画を観た。内容は先日行われたという有名ホテルでのパーティの模様だった。そのパーティに当時の私と同年代の人たちが高級外車で乗りつけ、賑やかに飲んだり喰ったりしている光景が映っていた。それを観た後、幹部らしき人から「皆さんもこんな夢のような暮らしができるのです」という話があった。

 私は極めて素朴な疑問を抱いてその幹部に質問をした。記憶をたどると次のようなものだった。
Q1;そのような優れた省エネ装置を自動車会社に売り込まないのはなぜか?
A1;自動車メーカに売ってしまえば開発者だけが儲かってそれで終わりだ。この開発者は世界中の若者にも利益を配分したいと考えてこのような販売方法にしたのだ。
Q2;燃費が良くなる原理が分からない。そもそも容器に入れるというその液体は何だ?
A2;これは水を主原料にした特殊な液体だ。これを容器の中で水素と酸素に分離し、霧状にしてガソリンに混合する。水素がガソリンの燃焼を助けて燃費が良くなる。水素が燃えても水になるだけだから排ガスも汚れない(真偽の程はともかく、彼はそのように説明した)。
Q3;えーッ!ちょっと待ってくれ。私は工学系(電気)の学生だ。水を水素と酸素に分離するには相当なエネルギーが必要なことくらい知っている。そんなことをしたらむしろエネルギーを浪費することにならないか?おかしな原理では納得できない。
A3;私も工学系出身だ。水を分解するのは少しのエネルギーで済むということを君が知らないだけだ。学校で教わらなかったのか。電気では教わらないかも知れないな。
Q4;そんなバカな!
A4;いずれにせよ燃費が良くなるというのはアメリカの雑誌で立証されている。

 私は釈然としなかったが彼との話はそれで終わった。その場には他にうら若き女性が二人いて、彼女たちはすぐに「私たち入会します」と言い出した。そして申込書に早速記入していた(後から考えると彼女たちは若い男をこの会に誘い込むための"サクラ"だったのかも知れない)。

 当時の6万円は今では20万円程度の価値になるだろうか。私はアルバイトで得た金がその程度あったので心が動いたが一晩考えて入会するのはやめにした。その理由だが第一に燃費が良くなると言うその原理がまったく納得行かないものだったことだ。さらに何とかと言う液体を定期的に補充していくという方式が引っかかった。そんな面倒なことを人は果たしてするだろうか。自分でも納得しない物を携帯電話もインターネットもないそんな時代に知人だけを頼りに何個も売りさばくことはとうていできないと思った。
 そして最も納得できなかったのが高額な車を買ったり派手なパーティをすることを夢とする考え方だった。「そうじゃない。もっと価値のあることは他にある」ということは二十歳前の私にも分かった。

 当時はマルチ商法なんて言葉はまだなかったが次第に社会問題化し、物をエンドユーザーに売ることよりも会員を増やすことを重視したこの仕組みがいつかは破綻することが理論的にもまた現実にも明らかになった。結局この会社はその後、高校生会員が自殺するという事件もあり、25万人の被害者を出して解散した。私を説明会に誘った同級生は金銭的にはそれほど大きな被害を被ることはなかったようだがあちこちの知り合いと気まずい関係になったであろうことは容易に想像できる。幸い私は何の被害も被らず、また彼の勧誘を断ったことで逆に彼との関係も壊さずに済んだ。

 マルチ商法はその後も手を変え品を変えして綿々と続いているようだ。うまい話には良く良く気をつけないといけない。経済的な損失もさることながら人間関係の損失はもっと大きな被害を生む。Y.S.