吉野源三郎著「君たちはどう生きるか」を先日読んだ。この本は中学生か高校生が読む本とのことだが、ひょっとしたきっかけで今回初めて読んでみた。この本が書かれたのは何と1937(昭和12)年のことだ。書中には普通の中流家庭にも女中がいたり、火の付いたタバコを平気で投げ捨てる場面があったりなど、今なら書かないであろう個所も散在するがそれでも内容的には素晴らしい本だと思う。
ストーリーはコペル君という中学生の周りで起こる出来事をコペル君本人とコペル君の叔父さんとが話したりノートに書いたりすることで進行していく。いくつかのエピソードに分かれているが、まずはコペルニクスの話が出てくる(コペル君というあだ名の由来がここで分かる)。
コペルニクスが地動説を唱えるまで人は皆自分が宇宙の中心であり、天が動いていると思っていた。コペル君の叔父さんはこの天動説と地動説を利用して「人は子供の頃は自分を基準にしなければ周りの位置関係が理解できない。しかし長ずるに従って外から自分を見ることができるようになる。残念ながら大人になっても自分中心の人がいることも事実だが」と指摘してみせる。続いてコペル君が「世の中は世界中の人々が仕事をすることによってお互いに支え合っている」ということに気付き、叔父さんはコペル君の深い思考に喜ぶ。
コペル君がナポレオンの能力や意志の強さに感心するくだりでは叔父さんが「ナポレオンは確かに非凡なすごい人物だった。しかし彼の成し遂げたことが歴史の上でどれほどの意義があったのかも考慮しなくてはならない」と釘を刺している。この部分は、軍国主義に傾きつつあった当時の情勢と筆者の反戦の思いも汲み取らなくてはならないだろうが、それとしても叔父さんの口を借りて「能力だけ優れていても意味がない。後世にどれだけの価値を残したか(もちろん金銭ではないだろう)が重要である」と言わしめたのは卓見だと思う。
またある日、上級生から理不尽な暴力を振るわれる仲間に対してコペル君は何もできなかった。誰にも似たような経験があるだろう。コペル君も「僕なんか死んでしまった方がいいんだ」と自責の念に駆られる。この場面ではコペル君の母親が「自分の正しい心に反してその通りに行動できなかったことを後悔だけに終わらせず、反省してその後の人生に活かしなさい」と言い、叔父さんが「からだに故障があれば痛みを感ずる。心が痛むのも心が正常でないからだ。この苦しい思いから新たな自信を汲み出していこう」と書く。正に心洗われる思いだ。
この本は多くの人が若い頃読んだそうだ。残念ながら私は筆者がこの本を書いた時よりもさらに歳を取ってからこの本に出会うことになった。だがそれでも未熟な私には充分参考になった。実に良い本だと思う。ビジネス書や事件物ばかり読んでカサカサになった心を潤してくれるような本だ。Y.S.

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