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        <title>スタッフブログ</title>
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        <language>ja</language>
        <copyright>Copyright 2011</copyright>
        <lastBuildDate>Thu, 06 Jan 2011 17:13:12 +0900</lastBuildDate>
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            <title>冬の上高地</title>
            <description><![CDATA[<p>　山の好きな人間にとって冬の上高地はちょっとした憧れになっている。カレンダーや絵葉書で良く見かける雪に覆われた穂高連峰をぜひ自分の目で見たいという思いからだ。</p>
<p>　上高地は通年マイカー規制されていて、沢渡（さわんど）からはバスやタクシーで入らなければならないし、そもそも冬は上高地への入口である釜トンネルが諸車通行止めだ。しかも松本から高山に抜ける国道１５８号線もかつては沢渡で冬季通行止になった。このため冬に上高地に入るには沢渡から歩き始めなければならなかった。<br />　ところが１９９７年に安房（あぼう）トンネルが開通して１５８号線の冬季通行止めが解かれた。相変わらず釜トンネルからは歩かなくてはならないが沢渡からの長い国道歩きはなくなった。ここ１０年で冬の上高地がかなり近くなったのだ。トレースがしっかり付いていれば河童橋までの日帰りも充分可能になった。</p>
<p>　私は昨冬に上高地で年越しをしようと考えて大晦日から上高地に入った。しかし３日間雪がやまず、穂高はずっと姿を現さなかった。そこで今冬は作戦を変え、天気予報を見ながら入山日を決定することにした。今冬は山陰や東北地方で豪雪となったが長野県はそれほどでもなく、しかも１月２日～３日は冬型気圧配置が緩んで上高地も好天が期待された。そこで２日早朝に出発した。</p>
<p>　予想通り２日は歩くに従って徐々に青空が拡がってきた。が、天候の回復はゆっくりで２５００ｍから上の雲が取りきれず、河童橋からの穂高の眺めは今ひとつだった。しかし翌３日は未明から快晴に恵まれた。大正池の左岸には黎明の穂高連峰をカメラに納めようとするアマチュアカメラマンの三脚が林立した。梓川の川面には薄っすらもやが掛かり、また氷点下１０数度の寒さでできた霧氷のおかげで木々は桜の花が満開になったようだ。<br />　やがて日が昇り、東を向いた西穂高岳から奥穂高岳への稜線と右端の明神五峰が赤く染まってきた。時折もやが晴れた水面には穂高の峰々が逆さに写り、正に絵葉書と同じ光景が展開した。あちこちで静かな歓声が上がり、殆どの人が今ここにいることの幸運を味わった。</p>
<p>　日が昇りきると段取りを心得たカメラマンたちは次の撮影場所である田代湿原や河童橋方面に向かって行った。我々は朝食後帰路についたが歩きながら何度も振り返って上高地のこのみごとな風景を頭の中のメモリーに記憶した。Ｙ．Ｓ．<a href="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/kappabashi.jpg"><img class="mt-image-none" height="300" alt="kappabashi.jpg" src="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/kappabashi-thumb-400x300.jpg" width="400" /></a></p>
<p>河童橋と焼岳（やけだけ）</p>
<p><a href="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/hotaka2.jpg"><img class="mt-image-none" height="300" alt="hotaka2.jpg" src="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/hotaka2-thumb-400x300.jpg" width="400" /></a></p>
<p>大正池からの穂高連峰</p>
<p><a href="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/jyuhyoh.jpg"><img class="mt-image-none" height="300" alt="jyuhyoh.jpg" src="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/jyuhyoh-thumb-400x300.jpg" width="400" /></a></p>
<p>満開の桜のような霧氷</p>
<p><a href="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/hotaka3.jpg"><img class="mt-image-none" height="300" alt="hotaka3.jpg" src="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/hotaka3-thumb-400x300.jpg" width="400" /></a></p>
<p>大正池堰堤付近から穂高連峰</p>]]></description>
            <link>http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/2011/01/post-30.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">YSコラム</category>
            
            
            <pubDate>Thu, 06 Jan 2011 17:13:12 +0900</pubDate>
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            <title>今年の夏山</title>
            <description><![CDATA[<p>　今年の夏はかなりの暑さだったがその分良い天気が続き、７月、８月、９月と毎月山に登ることができた。</p>
<p>　７月は八ヶ岳にコマクサとウルップソウを見に登った。梅雨明けと同時に行者小屋から入って阿弥陀岳、赤岳、横岳、硫黄岳と回り、赤岳鉱泉経由で下山した。目当てのコマクサもウルップソウも今が盛りと咲いていた。花も良かったが、どの小屋もトイレがきれいになっていて驚いた。特に硫黄岳山荘のトイレは洋式水洗で洗浄器付きだった。気軽に山に登れるようになるのは大歓迎だ。<a href="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/fuji.jpg"><img class="mt-image-none" height="300" alt="fuji.jpg" src="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/fuji-thumb-400x300.jpg" width="400" /></a></p>
<p>　赤岳と左遠くに富士山</p>
<p><a href="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/komakusa.jpg"><img class="mt-image-none" height="300" alt="komakusa.jpg" src="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/komakusa-thumb-400x300.jpg" width="400" /></a></p>
<p>　コマクサ（駒草）</p>
<p><a href="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/uruppu.jpg"><img class="mt-image-none" height="300" alt="uruppu.jpg" src="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/uruppu-thumb-400x300.jpg" width="400" /></a></p>
<p>　ウルップソウ（ウルップ草）</p>
<p>　８月は蝶ヶ岳から常念岳を歩いた。目的はもちろん槍と穂高の展望だ。やや高曇りだったが期待通りの景色を堪能した。北アルプスの入門コースとも言えるこのルートは中高年やファミリーを多く集めている。が、今回若い登山者も多く見かけた。彼ら彼女らには次回は向こう側の槍や穂高にぜひ登ってほしい。</p>
<p><a href="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/tenba.jpg"><img class="mt-image-none" height="300" alt="tenba.jpg" src="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/tenba-thumb-400x300.jpg" width="400" /></a></p>
<p>　蝶ヶ岳ヒュッテとテント場。山は常念岳</p>
<p><a href="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/yariho.jpg"><img class="mt-image-none" height="300" alt="yariho.jpg" src="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/yariho-thumb-400x300.jpg" width="400" /></a><a href="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/panorama2.jpg"></a></p>
<p>　左手に槍穂高を眺めながら蝶ヶ岳の稜線を行く</p>
<p><a href="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/panorama2.jpg"><img class="mt-image-none" height="129" alt="panorama2.jpg" src="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/panorama2-thumb-400x129.jpg" width="400" /></a></p>
<p>　常念岳山頂でのパノラマ</p>
<p>
<p>　９月は南アルプスの赤石岳から荒川三山を縦走した。赤石岳は南アルプスの本来の名称である赤石山脈の元であり、人気が高い。ここ赤石岳や聖岳など南アルプス南部の山々はかつて素泊まり小屋だけだったので重い荷が背負える登山者しか入れなかった。しかし今はどの山小屋も整備され、シーズン中は食事・寝具付きで泊まれるようになった。そのおかげで小さなザックだけの中高年が楽しそうに登っている。これもとても喜ばしいことだ。</p>
<p><a href="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/arakawa3mt.jpg"><img class="mt-image-none" height="300" alt="arakawa3mt.jpg" src="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/arakawa3mt-thumb-400x300.jpg" width="400" /></a></p>
<p>　中央に荒川前岳及び中岳、右に悪沢岳（荒川東岳）</p>
<p><a href="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/akaishi.jpg"><img class="mt-image-none" height="300" alt="akaishi.jpg" src="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/akaishi-thumb-400x300.jpg" width="400" /></a></p>
<p>　赤石岳を望む。右下は荒川小屋</p>
<p>　日本の山は本場のヨーロッパアルプスやヒマラヤなどと比べるとスケールが小さいし急峻さも少ない。だから登山と言うよりも「山旅」と言った方が雰囲気が伝わる。今年の夏山も正に山旅だった。<br />　山を旅して歩く、その途中には豊かな水と森林があり、稜線に出れば花が咲き、すがすがしい空気ときれいな景色がある。山を旅と捉えれば日本の山にはヨーロッパアルプスやヒマラヤに劣らない魅力があると改めて感じた夏山だった。Ｙ．Ｓ．</p>
<p></p>]]></description>
            <link>http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/2010/12/post-29.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">YSコラム</category>
            
            
            <pubDate>Wed, 01 Dec 2010 08:58:08 +0900</pubDate>
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        <item>
            <title>Freude am Fahren，その２</title>
            <description><![CDATA[<p>　早いもので「ＢＭＷ３２５ｉ－ｍスポーツ」と一緒に駆け抜けて（そのつもり）１年が過ぎ、約8,000㎞走行しました。そこで良い点、悪い点、困った点を思いつくまま書いてみました。</p>
<p>１．良い点<br />（１）直６のスムーズさが良い<br />　回転が上がるにつれて気持ち良くエンジンが回り、官能的な加速感が味わえます。良く言われている「シルキーシックス」を実感！<br />（２）ボディーの剛性が良い<br />　普通に走行しても、高速を走行しても、しっかり感を実感！<br />（３）足廻りが良い<br />直線でもコーナーでもタイヤが地についてふんばっている事を実感！<br />（４）高速走行が良い<br />　上記（１）～（３）のおかげで高速走行が楽々で、どこまでも走れてしまう感じを実感！スピードが上がるにつれて安定感も上がってきます。おっとスピード注意！！</p>
<p>２．悪い点<br />（１）やはり価格が高いかなー<br />　国産車と比べると内装などシンプルに感じます。<br />（２）初期不良が、ちょっとありました<br />　ですが、ディラー（サンセイＢＭＷ）の対応が良かったので、それほど気になりませんでした。<br />（３）低速でのもたつきがあります<br />　Ａ／Ｔが２速発進の様なのでしょうがないかな～。１速にセットして発進すると問題ありません。</p>
<p>３．ちょっと困った点<br />（１）ブランドイメージがすごい<br />　ＢＭＷに乗っていると言うだけで「すごいね～」とか「お金持ち～」とか言われてしまいます。決してすごいクラスの車でもなく、お金持ちでもないのでちょっと困ってしまいます。<br />（２）高速でも山道でも、わりと前車が道を譲ってくれる<br />　譲っていただいたので早く抜き走り去らなければなりません。またまたスピード注意！！</p>
<p>　以上、いろいろありますが１年間付き合った感想を一言で言うと「気持ちいい～」です。<br />　周囲から「どうＢＭは？」と聞かれますが、私の返答は必ず「気持ちいい～」です。高級感があり、エンジン音も聞こえず、優雅で豪華な走りの国産車も「すばらしい」と思いましたが「気持ちいい～」とは感じませんでした。この車はしっかり走り、かちっと曲がり、すっと止まり、国産車には無い何かがあります。本当に気持ちがいいんです。すばらしい車に出会えてよかったなと思っています。今後も一緒に駆け抜けて（つもり）いきます。また報告します。<br />　なおこの車、わずかながら手を加えてあります。写真で分かるでしょうか。Ｔ．Ｋ．</p>
<p><a href="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/front.jpg"><img class="mt-image-none" height="300" alt="front.jpg" src="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/front-thumb-400x300.jpg" width="400" /></a></p>
<p><a href="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/bar.jpg"><img class="mt-image-none" height="300" alt="bar.jpg" src="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/bar-thumb-400x300.jpg" width="400" /></a><a href="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/front.jpg"></a></p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><a href="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/bar.jpg"></a>
<p><a href="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/led.jpg"><img class="mt-image-none" height="300" alt="led.jpg" src="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/led-thumb-400x300.jpg" width="400" /></a></p>
<p><a href="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/pedal.jpg"><img class="mt-image-none" height="300" alt="pedal.jpg" src="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/pedal-thumb-400x300.jpg" width="400" /></a>&nbsp;</span>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><a href="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/bar.jpg"></a><a href="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/pedal.jpg"></a>&nbsp;</span>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><a href="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/led.jpg"></a>&nbsp;</span></p>]]></description>
            <link>http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/2010/07/freude-am-fahren.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">TKコラム</category>
            
            
            <pubDate>Mon, 05 Jul 2010 09:24:34 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>好天の五竜岳</title>
            <description><![CDATA[<p>　今年のＧＷは連日素晴らしい好天が続き、楽しく山に登ってきた。今年は仲間のリクエストで後立山連峰の五竜岳となった。雪も多く、岩と雪のコントラストがみごとな日本離れした景色が拡がっていた。<br />　入山は白馬五竜スキー場からだった。ここからゴンドラとリフトを乗り継いで遠見尾根を進む。スキー場もまだ営業していて歩き出しの第一歩からすでに雪の道だ。初日は大遠見山にテントを張り、そこをベースとした。<br />　２日目に五竜岳を往復した。朝テントを出発し、白岳の南側面を経由して後立山連峰の主稜線に出る。五竜山荘が営業していたのでビールやコーラを仕入れた。小屋の物資はヘリコプターで運搬しているので買えるのは当たり前だが、雪深い道を登って来た直後なのでなにか不思議な気分だ。<br />　五竜山荘から山頂までは急な雪壁が断続的に続く。スリップして上手く止められなければ相当下まで落ちてしまう。ピッケルとアイゼンを有効に使って慎重に登る。<br />　山頂は、大きな雪庇のその先だった。目の前に黒部川を挟んで剱岳が凛々しい。そして五竜の南側にある鹿島槍ヶ岳の双耳峰が美しい。<br />　雪山初心者が二人いたので山頂からの下りは所々で念のためにザイルを使った。ザイルを使うと時間が掛かる上に他の登山者にも迷惑が掛かる。しかし安全第一だ。案の定、二人とも「安心して下れた」と言っていた。若い頃なら「この程度の傾斜でザイルなんか出すものか」と粋がっていただろうから私もずいぶんと大人になった（？）ものだ。</p>
<p>　ところで最近のデジカメは動画撮影機能が充実している。私は数年前からデジカメで動画も撮りながら山に登っている。荷物が限られる山では写真と動画撮影を兼用できるのは大きな利点だ。そして今回の登山に合わせてフルハイビジョン動画（垂直画素数１０８０）が撮れるデジカメを新調した。<br />　歩きながら写真や動画を撮る訳だが今回は３日間で写真３００枚、動画３０分を撮った。帰宅後、動画をフルハイビジョンのテレビに写して見たところ、実に鮮明な映像が撮れていた。それまで使っていたハイビジョンながら垂直画素７２０本のデジカメ動画に比べるとベールが１枚取れた感じだ。<br />　昔、山の雰囲気をみんなに伝えたくてベータマックスのビデオカメラを背負って登ったことがあるがそれを考えると実に良い時代になったものだと思う。Ｙ．Ｓ．</p>
<p>　<a href="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/at_ohtohmi.jpg"><img class="mt-image-none" height="300" alt="at_ohtohmi.jpg" src="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/at_ohtohmi-thumb-400x300.jpg" width="400" /></a><br />五竜岳を背にＢＣにて（２０１０年５月３日撮影、以下同じ）<br /><br /><a href="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/to_sumit.jpg"><img class="mt-image-none" height="300" alt="to_sumit.jpg" src="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/to_sumit-thumb-400x300.jpg" width="400" /></a><br />五竜岳山頂への最後の登り</p>
<p><a href="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/panorama.jpg"><img class="mt-image-none" height="121" alt="panorama.jpg" src="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/panorama-thumb-400x121.jpg" width="400" /></a><br />五竜岳山頂でのパノラマ写真（左に鹿島槍ヶ岳、右に立山と剱岳）</p>
<p><a href="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/down.jpg"><img class="mt-image-none" height="300" alt="down.jpg" src="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/down-thumb-400x300.jpg" width="400" /></a><br />ザイルを使っての下山</p>
<p><a href="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/traverse.jpg"><img class="mt-image-none" height="300" alt="traverse.jpg" src="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/traverse-thumb-400x300.jpg" width="400" /></a><br />白岳側面をトラバースしてＢＣに戻る</p>]]></description>
            <link>http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/2010/05/post-28.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">YSコラム</category>
            
            
            <pubDate>Wed, 12 May 2010 15:58:06 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>区報</title>
            <description><![CDATA[<p>　私は、住んでいる自治会の区報発行責任者に昨年４月から選ばれてしまった。任期は２年だ。毎月発行しているので合計２４回発行することになる。先日ようやく折り返し点である１２回目を発行した。</p>
<p>　当自治会は２０年ほど前に、当時の役員が発案して区報発行が決まり、以来毎月欠かさず発行が続いている。内容は特に決まりはないが自治会内の毎月の行事報告（祭典、文化祭、スポーツ大会、一斉清掃など）と次月の予定が主になり、他に個人の投稿もある。Ａ４換算で１２頁ほどの規模だ。以前はモノクロ印刷だったが３年前にカラープリンタを購入してそれで印刷することになった。だから行事がある時はデジカメを持って取材に赴く。</p>
<p>　この区報には私も頼まれて過去に何回か投稿したことがあった。しかし今は一読者としての気楽な立場とはまったく異なる。皆さんに読んでもらえる紙面作りをしなければならない。<br />　私が最も恐れるのは手抜きを見透かされて区報が読まれなくなることだ。もちろん区報のどこにも「手抜きしました」と書いてあるわけではない。しかし読者は手抜きに何となく気付くものだ。手抜きの最たるものは他からの転用だろう。つまりページを埋めるためにどこかで仕入れた記事をそのまま貼り付けることだ。過去の例では「おばあちゃんの知恵袋」とか「今日の料理」それから「ハイキングコース紹介」などがあった。どこかで見たことのある、しかし誰も実行しないような生活の知恵や、本当に作って食べたかどうか疑わしい料理記事、実際に歩いたかどうか分からないコース案内などは読む側も虚しい。<br />　こういった埋め草的な記事を載せると読者は敏感に反応する。そしてせっかく書いた他のオリジナル記事も次第に読まなくなる。こんな５００部にも満たないコミュニティ冊子でもそこに載っている記事がオリジナルなものであることは極めて重要だ。</p>
<p>　区報の制作は元々労多くして功少ない無償の行為である。毎月の後半は帰宅後これの編集に費やし、月末の休日は印刷と綴じ込みで丸一日潰れる。かなりの犠牲的精神の持ち主か、さもなくば余程のお人好しでなければ引き受けないだろう（私は後者か？）。だから手抜きして読んでもらえなくなった区報にしてしまうと次に引き受けてくれる人は皆無となってしまう。しかし多くの人に読んでもらえる良い紙面にしておけば「次は私がやります」という奇特な御仁が現れるかも知れない。手抜きをしないことが後継者問題も発生しないであろうこと願って残り１２回の紙面を作っていきたい。まだまだゴールは遠い。Ｙ．Ｓ．</p>]]></description>
            <link>http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/2010/03/post-27.html</link>
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            <pubDate>Mon, 29 Mar 2010 13:45:51 +0900</pubDate>
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            <title>「バイクってほんまええよ～」－明産外野席より－</title>
            <description><![CDATA[<p>　弊社の立場は明産株式会社殿の協力企業であり、明産の従業員の方々と一緒にマシンを製作する言わば外注業者です。<br />　このような立場の弊社（私）に投稿の機会を与えて下さった明産殿に感謝しつつ、仕事とは関係ない話で恐縮ですが、私のバイクへの熱い想いを書いてみます。</p>
<p>①バイクは５感をフルに使う乗り物<br />　私はバイク（オートバイの略称と解釈して下さい）が大好きです。触れると大火傷をしそうなエンジンやエキゾーストといったメカニカル部分を剥き出しに風を切って走る姿は、乗っていても見ていても爽快な気分にさせられます。バイクは５感をフルに使う乗り物です。<br />　とは言うものの一見気持ち良さそうに見えるバイクも実は夏場は炎天下でヘルメットを被り、長袖のフル装備でとても暑く、また冬は風を切って走ること自体が気が狂うほど寒いのです。さらに雨が降れば濡れるし、トラックの後を走れば排気ガスで真っ黒。本当に気持ちよく走れる時期は実は１年の内のほんの短い期間しかないのです。</p>
<p>②過去のバイク、現在のスーパーバイク<br />　日本の２輪史を振り返ると、１９６０年代後半、排気量７５０ｃｃという国産大型バイクが誕生しました。ホンダドリームＣＢ７５０です。いわゆるナナハン（ナナハンという言葉はこの時にできた）の誕生です。<br />　１９７０年代にはホンダドリームＣＢ７５０のＯＨＣ空冷４気筒に対してヤマハはＤＯＨＣ空冷３気筒のＧＸ７５０で対抗し、カワサキは国産車中最高出力を謳った２サイクル空冷３気筒のマッハ７５０やＤＯＨＣ空冷４気筒の７５０ＲＳで挑戦してきました。<br />　これらに対してスズキは水冷式の２サイクル３気筒ＧＴ７５０やロータリーエンジンを搭載したＲＥ５で２輪界の頂点を目指したのです。<br />　今考えてみればこの年代のバイクはどれも個性豊かで各メーカーのエンジニアの熱いハートがバイクというものに形を変え、我々に訴えてきたように思えます。</p>
<p>　最近のバイク性能と言えばエンジンが２万回転近く回るのにキチンとアイドリングがあり、リッターあたり２００馬力出ているのに壊れず燃費が良く、この排気ガス規制が厳しい時代に規制をクリアしています。またフレーム性能も素晴らしく、市販のノーマル車両で３００㎞／ｈ超の速度領域まで達しているのです。まったく恐れ入る凄い性能だと感心します。まさにスーパーバイクです。<br />　しかし最近のバイクは何かが足りない、何かが・・・<br />　どれもこれも同じレイアウトのフレーム形式やエンジンレイアウトといったものでメーカーのエンブレムを見ない限り、どこ製のバイクだか判らないといった感じです。性能を追求すれば、よく似た構造になるのは理解できるのですが・・・<br />　すべてのバイクがそうだと言う訳ではないのですがこれに近いものを感じます。</p>
<p>③バイクと私<br />　バイクとの初めての出会いは、私が小学校６年生の時でした。年上のいとこに連れられバイク屋に行ったのがきっかけでした。今から３７年前の話です。<br />　このカワサキ専門店に置いてあったバイクこそ７５０ＲＳ（通称Ｚ２）でした。いとこはショーウインド越しに「すごくカッコいいバイクやろ、俺は買うぞ」と言っていたのを覚えています。<br />　しかしそんなに簡単に買えるわけがありません。彼は中古の２サイクル４９ｃｃの通称原付バイクしか手に入れることができませんでした。この時たまたま中古で売りに出されていたこの７５０ＲＳを店の方の好意で跨がせてもらいました。この時の印象はハンドルが遙か遠く届かず、燃料タンクはちゃぶ台に見えたのを覚えています。</p>
<p>　これ以来、私もこの堂々とした巨大な２輪車７５０ＲＳの虜になってしまいました。その後このバイクに憧れ続けたまま社会人になり、金銭的な余裕もでき、ようやくこの７５０ＲＳを購入することができるようになりました。ところが社会人になった自分の成長とは逆に７５０ＲＳは型遅れの旧車となってしまったのです。中古の７５０ＲＳを買って乗り回すことに意義を見い出せなくなったのです。<br />　と言うわけで７５０ＲＳをあきらめた私はこの後、ホンダ製のナナハンを新車で数台乗り継ぎ、その後ハーレーダビッドソンのローライダーという車種を購入してこれに約１０年乗りました。</p>
<p>
<p>
<p><img class="mt-image-none" height="325" alt="byke.JPG" src="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/byke.JPG" width="400" /></p>
<p>　　　［以前所有していたハーレー。これに１０年乗りました］</p>
<p></p>
<p></p>
<p>　このハーレーはとても気に入っていたのですが、やはり７５０ＲＳのことが忘れられず、ある日、妻に相談しました。妻の一言「そんなにほしいのなら買ってもいいよ」妻が仏様に見えました。<br />　しかし２台のバイクを所有する余裕がないので思い切って腹を決め、次の日曜日にバイク買い取りセンターに来てもらってハーレーを売り払いました。そしてカワサキ７５０ＲＳをフルレストア（再生新車）して売ってくれる店を訪ねたのです。それから待つこと７か月、私の元に７５０ＲＳが来たのです。子供の頃の夢が遂にかなった瞬間でした。</p>
<p>④見ているだけのバイク<br />　しかし現実は厳しかったのです。いくらフルレストアしたからと言っても基本設計が４０年以上前の古いバイクに変わりはありません。振動はすさまじく、排気音もノーマルでありながら爆音です。走っているだけであちこち部品が外れて壊れました。<br />　しかし３７年間想い続けたバイクです。私の手で「スムーズに動く」ようにしてあげたかったのです。幸い若かりし頃バイク屋でバイトをしていた経験があり、メンテナンスには自信がありました。<br />　こうしてようやく普通に走れるようになった７５０ＲＳがとても愛おしく思え、現在に至るのです。<br />　大して走りもしないのにメンテナンスは欠かさず、常にベストコンディションを保ったままピカピカです。<br />　こうして書くと休みごとにバイクで走り廻っているように取られるかも知れませんが、現実は妻の顔色を伺いながらバイクに跨っています。日曜日の朝早く起きて走り出し、昼前には帰宅して昼食は家族と一緒にとっています。そのあと妻との買い物に付き合うのです。これを怠ると大変なことになるのであまり遠くへ出たことがないのが実情です。</p>
<p>　こうして１年間楽しく乗っていたのですが、またしてもこの７５０ＲＳに乗れなくなってしまいました。今度は私の右足が関節炎で動かなくなり、手術することになってしまったのです。<br />退院した後も２か月半は自宅療養を行い、会社や家族、それに廻りの人にも大変な迷惑を掛けてしまいました。その後仕事に復帰したのですが、私の右足は７５０ＲＳに乗れるまで回復するにはさらに時間を要しました。<br />　それから２年の月日が立ち、７５０ＲＳは車検が切れたままガレージで今もピカピカで最高のコンディションのまま眠っています。月に一度はエンジンに火を入れ、ワックスを掛けて磨いてやっています。一緒に走らなくてもコイツがいれば幸せです。<br />　とは言ってもやはりバイクは「走ってなんぼ」です。私の右足もようやく癒えたのでそろそろこの７５０ＲＳの車検を取り直し、コイツと一緒に再び爽快に走り回りたいと思っています。Ｍ．Ｅ．</p>
<p>
<p>
<p><a href="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/byke2.JPG"><img class="mt-image-none" height="258" alt="byke2.JPG" src="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/byke2-thumb-400x258.jpg" width="400" /></a></p>
<p>　　　　［７５０ＲＳの図面を引いてみました。どうですか？］</p>
<p></p>
<p></p>]]></description>
            <link>http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/2010/03/post-26.html</link>
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            <pubDate>Fri, 05 Mar 2010 17:13:31 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>「君たちはどう生きるか」を読んで</title>
            <description><![CDATA[<p>　吉野源三郎著「君たちはどう生きるか」を先日読んだ。この本は中学生か高校生が読む本とのことだが、ひょっとしたきっかけで今回初めて読んでみた。この本が書かれたのは何と１９３７（昭和１２）年のことだ。書中には普通の中流家庭にも女中がいたり、火の付いたタバコを平気で投げ捨てる場面があったりなど、今なら書かないであろう個所も散在するがそれでも内容的には素晴らしい本だと思う。</p>
<p>　ストーリーはコペル君という中学生の周りで起こる出来事をコペル君本人とコペル君の叔父さんとが話したりノートに書いたりすることで進行していく。いくつかのエピソードに分かれているが、まずはコペルニクスの話が出てくる（コペル君というあだ名の由来がここで分かる）。<br />　コペルニクスが地動説を唱えるまで人は皆自分が宇宙の中心であり、天が動いていると思っていた。コペル君の叔父さんはこの天動説と地動説を利用して「人は子供の頃は自分を基準にしなければ周りの位置関係が理解できない。しかし長ずるに従って外から自分を見ることができるようになる。残念ながら大人になっても自分中心の人がいることも事実だが」と指摘してみせる。続いてコペル君が「世の中は世界中の人々が仕事をすることによってお互いに支え合っている」ということに気付き、叔父さんはコペル君の深い思考に喜ぶ。</p>
<p>　コペル君がナポレオンの能力や意志の強さに感心するくだりでは叔父さんが「ナポレオンは確かに非凡なすごい人物だった。しかし彼の成し遂げたことが歴史の上でどれほどの意義があったのかも考慮しなくてはならない」と釘を刺している。この部分は、軍国主義に傾きつつあった当時の情勢と筆者の反戦の思いも汲み取らなくてはならないだろうが、それとしても叔父さんの口を借りて「能力だけ優れていても意味がない。後世にどれだけの価値を残したか（もちろん金銭ではないだろう）が重要である」と言わしめたのは卓見だと思う。<br />　またある日、上級生から理不尽な暴力を振るわれる仲間に対してコペル君は何もできなかった。誰にも似たような経験があるだろう。コペル君も「僕なんか死んでしまった方がいいんだ」と自責の念に駆られる。この場面ではコペル君の母親が「自分の正しい心に反してその通りに行動できなかったことを後悔だけに終わらせず、反省してその後の人生に活かしなさい」と言い、叔父さんが「からだに故障があれば痛みを感ずる。心が痛むのも心が正常でないからだ。この苦しい思いから新たな自信を汲み出していこう」と書く。正に心洗われる思いだ。</p>
<p>　この本は多くの人が若い頃読んだそうだ。残念ながら私は筆者がこの本を書いた時よりもさらに歳を取ってからこの本に出会うことになった。だがそれでも未熟な私には充分参考になった。実に良い本だと思う。ビジネス書や事件物ばかり読んでカサカサになった心を潤してくれるような本だ。Ｙ．Ｓ．</p>
<p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><a href="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/Douikiru.jpg"><img class="mt-image-none" height="269" alt="Douikiru.jpg" src="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/Douikiru-thumb-200x269.jpg" width="200" /></a></span></p>]]></description>
            <link>http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/2010/02/post-25.html</link>
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            <pubDate>Fri, 26 Feb 2010 16:26:32 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>スキー上達の秘訣</title>
            <description><![CDATA[<p>　一昨年のことだが、会社の先輩であるCさんと一緒にスキーに行った。場所はCさんのホームゲレンデ、八方尾根だ。私はここには２回目だったが何せ広いスキー場なのでうっかりすると自分がどこにいるか分からなくなってしまう。特に２日目は相当な濃霧で、前を滑るCさんの後にぴったり付いて滑って行かないとリフト乗り場に辿り着けないような状況だった。<br />　Cさんは私よりスキーが上手である。当然私は教えを乞うことになった。Cさんの指摘は的確だった。特に「突いた後のストック先端をもっと上に持ち上げないとダメ」の一言は、目からウロコものだった。</p>
<p>　スキーは真っ直ぐ滑り降りるだけならまったくの初心者でも簡単にできる。しかしスキーにはターンが不可欠だ。ターンによって方向を変えるのはもちろんのこと、連続してターンすることによって滑り降りるスピードを制御する。<br />　ターンは安全に滑り降りるための手段ではあるが、ターン中のあの浮遊感と板を制御している軽い緊張感がスキーの楽しさをもたらしている。ターンすること自体が目的にもなっているのだ。<br />　そのターンだが上手くターンできるようになるにはかなり困難な壁を乗り越えなくてはならない。スキーは上体、つまり腰から上の先行動作で曲がって行く。したがって上体は常に前に前にという意識を持っていなければならない。それが結果的に板を引っ張って行くことになる（スキーにはいろいろなイメージの仕方があり、これは一例である）。<br />　上体の先行動作に合わせて両手も前に前に出して行くことになる。そこで私はいつも「ストックは突いたらグリップを前に、突いたら前に」ということと「ストックのグリップがいつも視野内にあること」を心がけてきた。これは過去に上級者から教わった秘訣だ。<br />　しかしCさんは「まだ不十分だ。なぜかな？」と言う。そして次の１本でそれを見事に指摘した。それが「ストック先端の下がり」だった。私は確かに常に両手を前に出すようにはしていたがストックの先端にまでは意識が行っていなかった。そのためストックがだら下がり、積極的に板に乗り込んでいる滑りになっていなかったようだ。</p>
<p>　スキーは斜面に対していつも突っ込んで行く意識を持たないと安定した滑りにならない。ちょっとでも油断するといわゆる後傾姿勢になって板の制御が効かなくなる。そうすると雪面の変化や他人の接近に対してとっさに反応できなくなり、危険だ。ストックの先端をしっかり持ち上げてもっと雪面から離すこと、たかがそれだけのことが上達への一つの秘訣だった。奥が深い。Ｙ．Ｓ．</p>
<p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><a href="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/ski.jpg"><img class="mt-image-none" height="300" alt="ski.jpg" src="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/ski-thumb-400x300.jpg" width="400" /></a></span></p>
<p>写真は昨年、妙高杉ノ原でのＣさん</p>
<p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="DISPLAY: inline"><a href="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/ski.jpg"></a></span></p>]]></description>
            <link>http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/2010/02/post-24.html</link>
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            <pubDate>Tue, 23 Feb 2010 17:19:55 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>ＤＥＣの記憶</title>
            <description><![CDATA[<p>　先日、家の本棚を整理していて古い本を見つけた。「超エクセレントカンパニーＤＥＣ」という名の本だ。私の知り合いでＤＥＣ日本支社に勤務していた者から貰った本だ。ＤＥＣ（Digital Equipment Corporation）は、今ではコンピュータの歴史書にしか登場しないような過去の会社となってしまった。しかし当時はＩＢＭに次ぐ世界第２位のコンピュータメーカーであり、この本のタイトルのように超エクセレントカンパニーと言われて持てはやされた会社だった。保険会社かどこか忘れたが「女性から見た結婚したい男性が勤務する会社アンケート」にＤＥＣが１番で選ばれたことがあった。その理由としてＤＥＣは、時代の花形であり、給与も高く、アメリカ勤務や出張もあり、外資系にもかかわらず終身雇用や傷病補償など従業員を大事にする、といった理想的な会社であることが記してあったようだ。当時のＤＥＣ従業員は正に我が世の春を謳歌したことだろう。</p>
<p>　しかしそうしている内にＰＣの性能が驚くような速さで向上した。ＤＥＣの得意とするミニ･コンピュータの領域にまでＰＣが進出してきたのだ。ＤＥＣも急いでＰＣを生産し始めたが「時すでに遅し」。ダウンサイジングとUnixの波に乗れなかったことがＤＥＣ衰退の原因だったようだ。<br />　アメリカの本社では創業者のケン･オルセン氏が退き、経営者が交代した。しかし新しい経営者は会社を再建することよりもブランド･イメージの良い内に会社を切り売りすることに専念した。その結果ＤＥＣはコンパックに売却された。そしてコンパックもやがてヒューレット･パッカードに吸収された。「毎週のように送別会があったよ」と私の知り合いは当時のことを話す。超エクセレントカンパニーと呼ばれていたことが嘘のようだ。</p>
<p>　同じような話は最近でもあった。経営危機が騒がれていた日本航空が今年に入って遂に会社更生法を申請したという事実だ。日本航空もかつては就職人気の上位を常に占めていた。これも今では嘘のような話だ。<br />　ＤＥＣも日本航空も、さらにはいつしか表舞台から去った多くの有名企業もその凋落の原因はそれぞれに異なるだろう。日本航空のようにとても一言では言えないたくさんの事情を抱えた会社もある。それぞれの企業に属していた方々にとっては一従業員の力では如何ともし難く、その無念さが想像できる。</p>
<p>　多くの人が言う通り、やはり「会社は生き物」なのだろう。その時代の環境変化に上手に順応して行かないと生き延びることはできない。そのためには将棋や囲碁の達人のように先を読む能力を高めて行くことが必要であり、また周りの変化を自社にフィードバックして軌道修正していく柔軟性も必要であろう。我々は何という難しい時代に生きていることだろうか。Ｙ．Ｓ．</p>
<p><a href="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/DEC.jpg"><img class="mt-image-none" height="266" alt="DEC.jpg" src="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/DEC-thumb-200x266.jpg" width="200" /></a></p>]]></description>
            <link>http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/2010/02/post-23.html</link>
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            <pubDate>Tue, 02 Feb 2010 10:18:04 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>栄光の岩壁</title>
            <description><![CDATA[<p>　作家新田次郎は山岳小説を最も得意とした。今年上映されて話題になった「剱岳点の記」も新田次郎作品だ。<br />　短編、長編共に数ある新田次郎作品の中でも特に傑作は「孤高の人」と「栄光の岩壁」だろう。「孤高の人」は戦前の単独行登山家加藤文太郎氏を描いている。そして「栄光の岩壁」は戦後の名クライマー芳野満彦氏をモデルとしている。<br />　芳野満彦氏は１９４８年の冬、八ヶ岳で遭難して足に凍傷に負った。幸い生きて救助されたが、麓の病院で両足の指を全部切断するという大きな代償を被ってしまった。氏が１７才の時だ。それでも氏はその後、指先のない足で冬の岩壁に挑み、国内の著名なルートの積雪期初登攀をいくつも達成した。１９６５年にはマッターホルン北壁の日本人初登攀を成し遂げている。「栄光の岩壁」にはそこまでの氏の半生が描かれている。<br />　氏は単に登山家であるだけでなく詩や絵画も得意であり、１９５９年に刊行した自らの著書「山靴の音」にもそれらの詩や絵を掲載している。<br />　私は山の仲間と語らって芳野満彦氏に会いに行くことにした。私たちが若い頃夢中になって読んだ「栄光の岩壁」のモデルとなった山の大先輩を訪ね、親しくお話を伺おうというプランだ。<br />　私たちは事前にアポを取り、茨城県水戸市にお住まいの芳野満彦氏を訪ねた。文字通り直立不動の姿勢で恐る恐る訪ねた我々を氏は暖かく迎えてくれた。戦後登山界の生き字引のような氏の口からは著名な登山家の名前がポンポン出てきた。登山家として大きなハンディを負うことになった八ヶ岳遭難の話も興味深く伺った。私は話を聞きながら氏の持つ常に前向きな姿勢に感銘を受けた。問わず語りの氏の話しぶりは何かを否定的に言うことがないのだ。「何々の登山は良かった」とか「何々は良い道具だった」という具合に常に良い面を取り上げようとするのだ。「常人でも困難なことを、ハンディを負った体で成し遂げた源泉はこれほどの前向きさであったか」と理解した次第だ。<br />　我々は持参した「栄光の岩壁」や「山靴の音」などに氏の署名をお願いした。氏は一冊一冊丁寧に筆を運び、署名だけでなく短い文や山の絵を即興で記してくれた。これらの本は我々の一生の宝物となった。Ｙ．Ｓ．</p>
<p><img class="mt-image-none" height="444" alt="Mr_Yoshino.jpg" src="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/Mr_Yoshino.jpg" width="400" /></p>
<p>
<p>芳野満彦氏近影（２００９年１２月撮影）</p></p>]]></description>
            <link>http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/2009/12/post-22.html</link>
            <guid>http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/2009/12/post-22.html</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">YSコラム</category>
            
            
            <pubDate>Thu, 24 Dec 2009 16:32:04 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>黒部川・下ノ廊下</title>
            <description><![CDATA[<p>　９月のいわゆるシルバーウィークは念願の黒部川・下ノ廊下（しものろうか）に行ってきた。</p>
<p>　下ノ廊下とは黒部ダムから下流のＶ字状峡谷のことで、ルートは左岸の岩壁に等高線に沿って穿たれた狭い道である。黒部ダムからスタートして黒部峡谷鉄道（いわゆるトロッコ列車）の終点である欅平（けやきだいら）まで約３０㎞、前夜発１泊２日の行程だ。ちなみに黒部ダムから上流を当然ながら上ノ廊下と呼ぶ。ここには道はなく、泳ぎやへつりの完全な沢登りの世界らしい。</p>
<p>　私は３５年前に山仲間から「下ノ廊下に行ってきた」という話を聞き「いつかは行きたいものだ」と思っていた。しかしそれを果たせないままズルズルと歳を重ねてしまった。今回も出発数日前まで踏ん切りが付かなかったが台風も東に逸れて好天が期待できたので計画を立てて行ってきた。</p>
<p>　せっかくの連休なので室堂から入って立山連峰を浄土山～雄山～大汝山～真砂岳と登り、内蔵助谷に降りて下ノ廊下に繋げるという前夜発２泊３日の日程にした。結果的にはこの欲張った計画のせいで疲労困憊してしまったが天気にも恵まれて何とか計画通り歩き、山を満喫してきた。</p>
<p>　下ノ廊下の岩壁に付けられたこのルートを正しくは旧日電歩道という。これは戦前あった日本電力という電力会社がこの道を開いたことに由来する。現在の黒部ダムまでの歩道ができたのが１９２９（昭和４）年とのことだ。戦後の電力会社再編で旧日本電力（当時は日本発送電）は解散してそのエリアを関西電力が引き継ぎ、今日に至っている。さらにさかのぼれば日本電力は東洋アルミナムというアルミ精錬会社を吸収している。この東洋アルミナムが黒部川に自前の水力発電所を建設するために鉄道を敷き、その終点から歩道を作っていったのが発端らしい。欅平から仙人ダムまでの東洋アルミナムが作った道を水平歩道と呼び、それを引き継いで黒部ダムまで延長したのを旧日電歩道と呼ぶのが正式とのことだ。<a href="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/P1000890.jpg"><img class="mt-image-none" height="300" alt="P1000890.jpg" src="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/P1000890-thumb-400x300.jpg" width="400" /></a></p>
<p>　ところでその旧日電歩道・水平歩道を歩いた感想であるが、「延々と続く」の一言に尽きる。写真で見ると断崖絶壁の狭い道に「足がすくむのでないか？」と思われがちだが、さすがにここに来ようという登山者はこの程度の高度感や狭さには慣れている。どなたもすいすいと歩いていた。それよりもその距離の長さに驚ろかされる。「よくぞこれだけ長い道を切り開いた」と感じ入る。<a href="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/P1000931.jpg"><img class="mt-image-none" height="300" alt="P1000931.jpg" src="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/P1000931-thumb-400x300.jpg" width="400" /></a></p>
<p>　そして下ノ廊下最大の名所である「十字峡」を過ぎ、しばらくして現れる黒部第四発電所の送電線引き込み口に唖然とする。後立山連峰の地下深くに黒部第四発電所があり、黒部ダムからそこに地下パイプで水が送られていることは事前に知ってはいても実際にその一部分を目にすると「やっぱり本当だったんだ！」と驚嘆する。そして今歩いているこの細い、所によっては丸木３本の桟道がそれらのダムや発電所建設の事前調査のための道であったことを再認識させられる。正に頭をガーンと殴られるような衝撃を受け、これを成し遂げた人間の意志の強さに驚かされる。電力開発は戦前の軍需による国策でもあったにせよ「本当に人間はこれだけのことを計画し、実行に移すのだろうか？」と、正に人生観が変わる思いがした。<a href="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/P1000968.jpg"><img class="mt-image-none" height="299" alt="P1000968.jpg" src="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/P1000968-thumb-400x299.jpg" width="400" /></a></p>
<p>　帰宅後、ネットで検索したら東洋アルミナムを設立したのは消化酵素タカジアスターゼの発明で有名な化学者高峰譲吉氏であったことも知り、さらに驚いた。「世の中にはすごい人たちがいるもんだ」といつものように思った次第だ。Ｙ．Ｓ．<a href="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/okuganeyama.jpg"><img class="mt-image-none" height="300" alt="okuganeyama.jpg" src="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/okuganeyama-thumb-400x300.jpg" width="400" /></a></p>
<p><a href="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/P1010001.JPG"><img class="mt-image-none" height="300" alt="P1010001.JPG" src="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/P1010001-thumb-400x300.jpg" width="400" /></a></p>]]></description>
            <link>http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/2009/09/post-21.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">YSコラム</category>
            
            
            <pubDate>Sat, 26 Sep 2009 08:45:14 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>特性インピーダンスってなに？</title>
            <description><![CDATA[<p>　さていよいよ特性インピーダンスについて記すことにする。特性インピーダンスと言うとすぐに思い起こすのは同軸ケーブルの特性インピーダンスが５０Ωや７５Ωであることやツイストペア線のそれが１００Ω前後であることだ。しかしテスターでどこをどう測っても５０Ωや１００Ωになったりはしない。また特性インピーダンスは長さが１ｍだろうが１００ｍだろうが５０Ωは５０Ωのままである。特性インピーダンスとはいったい何者なのだろうか？</p>
<p>　特性インピーダンスも理解しやすい他の物で説明した方が良い。そこでアッテネータ（減衰器）の理屈を理解することから始める。アッテネータを図や数式を使わずに何とか説明しようと考えたがさすがに無理がある。そこでまずは図１を見て頂きたい。これは７５Ω系の供給側と負荷側のインピーダンスマッチングが取れている状態を表している。供給側はインピーダンス０Ωの信号源とその信号源の内部インピーダンスとに分けて考えることができる。<br />　ここに図２のようなＴ字型のアッテネータを１個挿入する。アッテネータはインピーダンスマッチングを崩すことなく信号を減衰させる物だ。具体的には例えば図３のような抵抗値になる。これは６ｄＢのアッテネータである。図３では供給側から右側を見た時に７５Ωに見えることを確認されたい（１００Ωの並列に２５Ωが直列なので７５Ω）。同様に負荷側から供給側を見ても７５Ωである。ついでにこのアッテネータではＶ１の電圧がＶ２では１／２（つまり６ｄＢダウン）となることも確認しておきたい。<br />　ではこのアッテネータを２個、３個と数珠繋ぎしたらどうなるだろうか？もちろんアッテネータだから信号は減衰し、受電側の電圧が１／２から１／４になり１／８と減衰していく。しかしちょっと考えれば分かるように供給側から見たインピーダンスはこのアッテネータが何個繋がろうと７５Ωのままである（図４）。このアッテネータを「７５Ω系のアッテネータ」と呼ぶ。しかしこのアッテネータ単体をテスターで測っても７５Ωになっている所はない。</p>
<p>　同軸ケーブルもアッテネータと同じように考えれば分かりやすい。図５は同軸ケーブルの微少区間を単純化したものだ。これは先ほどのアッテネータ１個分と同じ形だ。図５での抵抗は、直列分は導体の持っている僅かな抵抗であり極めて小さい。また並列分は絶縁体の漏れに由来する抵抗であって極めて大きい。したがって理想的な同軸ケーブルがあったとすれば図６のように書ける。このＬ分とＣ分が常に均一になるように注意深く作られた同軸ケーブルはアッテネータの例と同じように何段重ねても（つまり何メートルでも）インピーダンスマッチングすることが理解できる。<br />　同軸ケーブルを物理的に何かで押さえて潰してならないのは、潰れた個所でＣ分が変化して特性インピーダンスが変化してしまうからだ。また同軸系ではケーブルだけではなく、コネクタまでインピーダンスマッチングを図っていることにも注目したい。せっかく正確な同軸構造や均一な絶縁体材質で同軸ケーブル作っても、そこを通って来た信号がコネクタでミスマッチして反射波を出すのは具合が悪い。ＳＭＡ、ＢＮＣ、Ｎ、Ｆなどのコネクタがインピーダンスマッチングを図った物だ。これらのコネクタはコネクタメーカの指示通り正確に組み立てないと本来の特性インピーダンスにならないので注意が必要だ。</p>
<p>　ところで同軸ケーブルもツイストペア線もなぜ５０Ω、７５Ω、１００Ωなどの特性インピーダンス値なのだろうか？それはひと言で言えば単に「そうなるから」だ。<br />　同軸ケーブルの場合は絶縁体（つまり誘電体）の材質によってＣ分が変化する。絶縁体として空気を使った同軸ケーブルを作り、そのケーブルの損失が最も少ない構造にした時に７５Ωの終端抵抗で最も良くマッチングしたことから７５Ω系ができたらしい。また絶縁体にポリエチレンを使うと５０Ωで最も良くマッチングするので５０Ωを特性インピーダンスとして物もある。テレビ系は７５Ω、無線系は５０Ωを使うようになっている。<br />　ツイストペア線の場合も平行２線をよじった時に１００Ω近辺で終端するのが最も良くマッチングするのだ。ちなみに電話系が６００Ωなのは昔電信柱に渡した平行２線の特性インピーダンスが６００Ωだったからだそうだ。正に「そうなるから」決めた数値だ。</p>
<p>　こうして見てくるとまず最初に伝送路（つまり同軸ケーブルやツイストペア線）の特性インピーダンスがあり、それに合わせるように供給側と受電側のインピーダンス値を決めたことが分かる。供給側、受電側そして伝送路、この３者のインピーダンスマッチングを図ることによってロスを最小にし、なおかつ伝送波形の乱れを最小にすることができる。電気の現象に理論付けをしてそれを実際に役立たせようとする先人達の知恵に驚かされる次第だ。</p>
<p>　なおＲＳ４８５のようにレシーバを２個以上接続できるインタフェースは、レシーバの入力インピーダンスが高くできている。したがってドライバから見た場合レシーバは大きな負荷にはならず、ドライバから出た電流の殆どが終端抵抗で消費される。終端抵抗はツイストペア線の特性インピーダンスに合わせて１００から１２０Ωにする。こうすることによって伝送ラインのインピーダンスマッチングが図られ、波形の歪みが極力抑えられる。そのラインに高い入力インピーダンスのレシーバが繋がることによってマルチドロップが可能となっている。Ｙ．Ｓ．</p>
<p>
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><a onclick="window.open('http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/Crct_Imp22.html','popup','width=1024,height=480,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false" href="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/Crct_Imp22.html"><img class="mt-image-none" alt="Crct_Imp2.jpg" src="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/assets_c/2009/09/Crct_Imp2-thumb-400x187.jpg" width="400" height="187" /></a></span>
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            <link>http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/2009/09/post-20.html</link>
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            <pubDate>Mon, 07 Sep 2009 16:05:09 +0900</pubDate>
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            <title>富士登山</title>
            <description><![CDATA[<p>　今年の夏は久しぶりに富士山に登ってきた。地元に住んでいるとアプローチが簡単なので思い立った時に行けるのがうれしい。</p>
<p>　ルートは須走口にした。初日は正午過ぎに登り始めて八合目の小屋に泊まった。最近富士山は人気の山ということで満員に近い混雑ぶりだ。二日目は日の出と同時に歩き出して山頂に達し、お鉢巡りをして同じ須走口へ下った。<br />　山頂の日本最高所である剣ヶ峰は記念撮影の順番待ちが発生していた。山頂のシンボルだったレーダードームは既に撤去されたし、その直下の測候所も２００４年に自動化されて無人となった。人がそこに住んでいないと思うと何だか廃墟のように見えて物悲しい。<br />　須走口は登山道と下山道が完全に分離されているのですれ違いの気遣いがいらない。また下山道の七合目から五合目間は砂走りの斜面がある。須走口の砂走りは御殿場口のそれと比べると距離は短いがそれなりに楽しい。</p>
<p>　富士山は山そのものは大きく変わっていないが受入側に変化を感じた。登山道の整備が進み、道の両側は道迷いや裸地登行による自然破壊を防止する目的でほぼ切れ目なくロープが張られている。随所に設置された標識は日本語の他に英語、中国語、ハングル語で書かれている。また長年の課題であった山小屋のトイレがどこもきれいになった。世界自然遺産登録の候補地になれなかった原因の一つであった垂れ流しをやめ、タンク式の水洗になった。ついでに便器も洋式になってかなり快適になった。さらに寝返りができないほどの泊まり客の受け入れをやめて予約を重視するようになった。小屋の従業員もかつてのように「泊まらせてやる」という雰囲気が少なくなり、客を大事にするようになったと感じられた。</p>
<p>　富士山はここ２，３年で若い女性が増えたそうだ。今回確かにそう感じた。若い男女のグループや若い女性だけのグループをあちこちで見かけた。若い人たちが富士山をきっかけにあちこちの山に登り始めるのは大歓迎だ。しかしそうは言っても未だに富士登山は観光という雰囲気が強い。「ご来光」とか「お鉢巡り」といったキーワードだけは知っているが大した下調べもなしで来るので他に何を見るべきかを知らない。特に富士山が信仰の山として発展してきた歴史を知らないと山頂周辺にある鳥居も神社も興味が湧かず、登頂の歓びも半減すると思える。<br />　またどう考えても徹夜で登るのは疑問大いにありだ。疲れ、眠気、寒さ、人によっては高度障害がいっぺんに襲ってくる。徹夜で登って来た子供が親の背中で泣きわめいていたり、２０代の若者が山頂周辺でぐったりして寝転がっているのは見るに忍びない。</p>
<p>　これはかなり前からそうだったが、登って来る車に対して上の駐車スペースがあまりに少ない。あぶれた車が仕方なく路肩に駐車している。道路は駐車禁止ではないので法的には問題がないし、片側だけに駐車するよう誘導係員を配置して交通整理しているくらいだ。その駐車の列がずっと下まで続いていて最後尾はおそらく実質３合目辺りから登ることになるだろう。また路肩駐車のせいでバスがすれ違えなくて渋滞を起こしている。週末やお盆時期はマイカー規制をしているがもう限界だろう。<br />　かつての上高地がそうだったようにマイカーは無規制から期間規制を経てやがて全面通行禁止になるだろう。でもその方がお互いに良いと思う。なぜならバス代やタクシー代が余計に掛かり、乗り換えの手間が増えるがために本当に来たい人だけが来るようになるからだ。「そこまで来たからついでに五合目まで行ってみよう」という人は激減するだろう。マイカーは下で乗り捨てるので当然渋滞は発生しない。結果的に時間もロスしないし無駄な車道歩きも発生しない。良いことずくめだと思うがどうだろうか？</p>
<p>　「富士山に１度も登らぬバカ、２度登るバカ」と言われて久しい。これは富士山が何度も登るほど良い山ではないことを言っている。山肌は殺伐としているし登りも下りも単調だ。独立峰ゆえに周りの山が遠くなってしまって景色は期待はずれだ。それに加えて山小屋の混雑と冷遇が「良い山」の印象を与えない。受入側の「どうせ一見（いちげん）の客」という意識が見えていた。<br />　しかしここに来て前述の通り受入側の変化によって急速に「良い山」になりつつある。地元に暮らす者としては、富士山が標高日本一という売りだけでなく登山対象としても評価に耐え得る山になり、２度も３度も登りたくなる山になって欲しいと願っている。Ｙ．Ｓ．</p>
<p><a href="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/Mt_Fuji.jpg"><img class="mt-image-none" alt="Mt_Fuji.jpg" src="http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/Mt_Fuji-thumb-400x300.jpg" width="400" height="300" /></a></p>
<p>　八合五勺付近から見た山頂方面（２００９年８月２４日撮影）<br /></p>]]></description>
            <link>http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/2009/09/post-19.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">YSコラム</category>
            
            
            <pubDate>Thu, 03 Sep 2009 09:59:27 +0900</pubDate>
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            <title>インピーダンスマッチングってなに？</title>
            <description><![CDATA[<p>　以前このブログでインピーダンスについて書いたのでついでにインピーダンスマッチングについても記してみる。と言うよりも、先に実施した社内勉強会でのインピーダンスの話はインピーダンスマッチングの必要性について説明するための前段の話であった。我々のようにデータ伝送を多用している者にとってインピーダンスマッチングは興味深いテーマである。</p>
<p>　インピーダンスマッチングとは信号の送り側と受け側のインピーダンスを同じにすることである。インピーダンスをマッチングさせる目的は２つある。１つ目はパワーロスを最小にするためである。<br />　これについては電気よりも音の方が実感しやすいので音響インピーダンスで説明する。我々が水の中に潜ると、水中に音源のある音は良く聞こえるのにそれまで聞こえていた空気中の音がとても小さくなることを体験する。これは空気中の音響インピーダンスと水中の音響インピーダンスが極端に異なることが原因だ。インピーダンスがマッチングしていないので空気中の音は水面で殆ど反射されて水の中に入ってこないのだ。つまりパワーが有効に伝わらないのだ。<br />　電気もこれと同じように送り側と受け側のインピーダンスが合っていないと反射が生じてパワーがロスしてしまう。例えば今なお根強い人気のオーディオ用真空管アンプでは真空管の高い出力インピーダンス（数kΩ）と、スピーカの低い入力インピーダンス（数Ω）とを合わせるために間にトランスをはさむ。トランスの１次側巻き線は真空管のインピーダンスに合わせるために巻き数が多く、２次側はスピーカに合わせるために少ない。トランスを介することによってインピーダンスマッチングが行われ、真空管のパワーは大きなロスを生ずることなくスピーカに伝わる訳である。もし真空管とスピーカを直接繋ぐとすれば完全なミスマッチングとなり、水中で空気中の音を聞く時のように極めて小さな音しか鳴らないであろう。<br />　蛇足ながらこのトランスの存在が良くも悪くも真空管アンプの音に大きな影響を与えているようだ。「それがまた魅力だ」と言う向きもあるがそれはここでは議論しない。</p>
<p>　インピーダンスマッチングの２つ目の目的は正確な波形伝送にある。何度も書くが送受のインピーダンスが合っていないと反射が生じる。それがパワーロスだけでなく、送られてくる信号の波形を変形させてしまうことにもなる。<br />　電気信号は導線中を光とほぼ同じ速さで伝わる。つまり１秒間に３０万㎞の速さだ。オーディオ帯域の最高周波数は２万Hz（こんな高い音が聞こえる人は少ないが）である。この時の導線中の１波長は３０万を２万で割った１５㎞である。一般家庭で使うオーディオケーブルならばせいぜい数ｍであろうから１５㎞に比べて遙かに短い。これならば例え反射が起きても信号波形に与える影響は無視できるほど小さい。一般向けオーディオ装置がインピーダンスマッチングを無視している（つまり低インピーダンス出し、高インピーダンス受け）のはこの理由による。ちなみに長い距離を引き回す可能性のある業務用装置はオーディオ帯域でもインピーダンスマッチングを図っている。</p>
<p>　低い周波数ではあまり問題にならないインピーダンスマッチングであるが、周波数が高くなる（つまり波長が短くなる）と事情は違ってくる。例えば地デジ放送電波のＵＨＦ帯である５００MHzを考えると１波長は６０㎝とぐっと短くなる。こうなるとインピーダンスマッチングができていない場合は数ｍの伝送でも反射の影響が現れてくる。つまり反射波が入射波に影響して信号波形を歪ませるのである。こうなると正確な信号伝送は期待できない。<br />　地デジ放送は搬送波である電波にデジタル信号を乗せる変調という処理をしているが、変調を行わず直接デジタル信号を伝送するＳＣＳＩ、ＣＡＮバス、イーサネット、ＨＤＭＩなど高い伝送レート（つまり高い周波数）の信号でも同じことが言える。正確な波形伝送を必要とする高ビットレートのデータ伝送には伝送波形の歪みを避けるためにインピーダンスマッチングが欠かせない。バスの終端に、指定された数値の抵抗器を取り付けるのはこのためである。この抵抗器の値が受け側のインピーダンス値である。この抵抗器に送り側からの電気信号を流し込み、その抵抗器でパワーをロスなく消費させる。それによって反射の発生を抑えて波形の乱れを防ぐのである。</p>
<p>　高い周波数そして長い距離を送る場合には送り側のインピーダンスと受け側のインピーダンスを同じにすることが重要であることが分かった。その間を繋ぐ伝送路のインピーダンスを特性インピーダンスと称し、これもマッチングを図らなければならないがその話はまた次回。Ｙ．Ｓ．</p>]]></description>
            <link>http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/2009/08/post-18.html</link>
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            <pubDate>Fri, 21 Aug 2009 09:47:07 +0900</pubDate>
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            <title>責任ある仕事</title>
            <description><![CDATA[<p>　以前酒の席で当時部下だったＡ君が「責任ある仕事がしたい」と殊勝なことを言った。「責任ある仕事」、若手にとってこれはとても魅力的な言葉である。しかしＡ君はその意味を良く知らずに言ったようだ。<br />　辞書を引けば分かるように「責任」とは「自分のしたことの結果について責めを負うこと」である。たった二文字だがこの言葉の意味するところは極めて重い。昔の武士ならば「腹を切って詫びる」ことだ。</p>
<p>　映画「武士の一分」の冒頭で小林稔侍扮する樋口作之助が主君に食中毒を起こさせるような献立を知らずに立てた咎で切腹するシーンがある。家族は次室でただ念仏を唱えて無事に切腹が終わるのを待つ他ない。そうしなければ家を守れなかったのだろう。実際には木村拓哉扮する毒味役の三村新之丞が毒に当たって発覚し、殿様は間一髪難を逃れる訳だがそれでも樋口作之助は責任を取らされる。</p>
<p>　現代はもちろん切腹までは行かないが仕事で大きなミスを冒すと最悪は退職という形で責任を明らかにする。下手をすると刑事責任にまで発展することさえある。「仕事に責任を持つ」というのはかように過酷なことであり、覚悟が必要なことである。とても軽々しく「責任ある仕事をしたい」などと言えるたぐいのものではない。</p>
<p>　Ａ君には「そんなに急ぐな。その内にいやでもその『責任ある仕事』とやらをするようになるから」と諭しておいた。我々は仕事を重ねて行けばたとえ望まなくても自然と仕事に責任を持たざるを得なくなる。そして「責任」と言う言葉の重みを知るに至って、軽々しく「責任」などとは言わなくなる。そもそも「責任」という言葉を口から発するのは良い場面ではない。<br />　その後Ａ君は他の会社に移ってしまったので久しく会っていない。が、次の会社でももう中堅であろうから望み通り「責任ある仕事」を任されていることだろう。しかしできるだけ「責任」と言う言葉を聞くことなくスムーズに仕事をこなして行ってもらいたいと祈っている。Ｙ．Ｓ．</p>]]></description>
            <link>http://www.maysun-eng.co.jp/staffblog/2009/07/post-17.html</link>
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            <pubDate>Fri, 31 Jul 2009 16:54:30 +0900</pubDate>
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